全国各地から、「食」の担い手が、旅行者や地域のアクターと共に創りあげるフードツーリズムの最新事例をご紹介します。「食」の消費にとどまらない、持続可能なフードツーリズムのあり方のヒントがあるかもしれません。
静岡県富士市について
富士市は、静岡県東部に位置し、富士山と海を併せ持つ唯一の自治体です。東海道新幹線に乗れば、東京駅から新富士駅までは1時間ほど。天気にもよりますが、駅を降りると、目の前には雄大な富士山を眺めることができます。
人口は、静岡県内では浜松市、静岡市に次いで第3位の約26万人。古くから製紙産業が盛んで「紙のまち」として成長してきました。農業も盛んな地域で、米、梨、ミカン、そしてもちろん産出額の1位は茶となっています。温暖な気候、地形、土壌が茶栽培に適しているとされ、富士市の茶は味、香りともに良質と評されてきました。また、富士市では栽培加工、販売までを行う「自園・自製・自販」の生産者が多いことが特徴です。
茶レンジャーの存在
富士市の重要な産業であるお茶ですが、ペットボトル飲料の普及に伴って、茶葉の価格は低迷が続き、生産者の数や作付面積は減少傾向にあります。その一方で、近年、マーケットが拡大傾向にあるのが「ほうじ茶」です。富士市では、市役所の農政課が主体となって、市内の茶業低迷の打開策として、また若手生産者の所得向上を目的として、ほうじ茶のブランド化に着手することになりました。
そのキーマンが、富士市役所農政課の道倉健太さんです。道倉さんは、若手茶農家の一人である山田製茶の山田典彦さんに相談します。山田さんは、ほかの茶農家とともに「お茶屋戦隊茶レンジャー(以下、茶レンジャー)」という団体を結成し、カラフルなコスチュームを身につけ、市内の小学生にお茶の淹れ方を教える出前授業を続けるなど、富士市のお茶のPRや普及活動を続けていました。その背景には、お茶の生産地である富士市においても、急須でお茶を淹れない家庭が増えてきている、という危機感があったそうです。
山田さんによれば、子どもたちにお茶の淹れ方を教えていても、その温度管理がとても難しい。どんなに良い茶葉を用意しても、100度の熱湯で入れてしまえば、その良さが台無しになってしまいます。一方で、ほうじ茶は、緑茶ほど温度の影響を受けません。2019年に、茶レンジャーによって、ほうじ茶でのお茶の淹れ方教室を初めて実施したところ、子どもたちにとても好評でした。これをきっかけにして、「茶レジャーほうじ茶部会」を立ち上げ、市役所と連携したほうじ茶のブランド化に向けた取り組みが始まります。
凛茶の開発
筆者は、2020年から富士市のほうじ茶ブランド化に向けた取り組みに関わっています。当時の富士市では、ほうじ茶は、緑茶と比べて安いお茶、というイメージが強く、まずは徹底的にこだわり抜き、茶農家の誰もが納得する高品質な商品を作ることが決まりました。
「茶レンジャーほうじ茶部会」のメンバーは、良質な一番茶を選抜し、さらに葉と棒(茎)の配合の比率や、焙煎の温度や時間を何度も変えながら、試行錯誤を繰り返します。茶の収穫の忙しい時期には、作業が深夜にまで及ぶこともありました。工場には、道倉氏も頻繁に訪れ、茶レンジャーを励まし続けました。そして、およそ2年の歳月をかけて完成したのが、これまでのほうじ茶とは一線を画した「凛茶」です。
これまで、ほうじ茶のパッケージに採用されることが少なかった、明るい青色と富士山をイメージした三角形のデザインが特徴的です。おすすめは、水出しで、ほうじ茶の心地良い香りがいっぱいに広がります。新富士駅構内のお店や、道の駅などで購入でき、お土産としても人気となっています。
富士市ほうじ茶宣言
2021年6月、小長井義正市長により「富士市ほうじ茶宣言」が発表されました。これにより、富士市がほうじ茶を使ったまちづくりを積極的に進めることが市内外に発信されていきます。
道倉氏や茶レンジャーの取り組みに共感した富士市内の飲食店が、積極的に富士市のほうじ茶を使用した商品の開発、メニュー化に乗り出してくれたことが拡散のきっかけになっていきます。これまで、富士市でほうじ茶は、茶葉として販売する以外の展開がほとんど見られなかったのですが、「富士市ほうじ茶宣言」以降、菓子、餃子、カレー、蕎麦、リキッド、ビールなど40以上の事業者によって、70以上の商品が誕生しています。
旅行情報誌『るるぶ静岡』の最新号では、見開き2ページにわたって、富士市のほうじ茶商品を紹介させていただきましたが、どれもがここ2年以内に発売が開始された新商品ばかり。地域の皆さんのほうじ茶に対する思いが伝わってきます。さらに2023年6月から『るるぶ』のプライベートブランド商品第一弾として、「るるぶの食卓 ガパオ風混ぜご飯の素」「るるぶスイーツ 富士のほうじ茶アーモンド」も発売しております(宣伝です!)。
旅行者との接点構築
富士市を旅してみると、いたるところで茶畑が迎えてくれます。しかも、富士山と組み合わせたロケーションは最高! しかし、眼前にどれだけ茶畑が広がっても、お土産として茶葉を購入する以外に、これまで旅行者がお茶と触れるシーンは限定的でした。
ほうじ茶のブランド化は、千載一遇のチャンスです。茶レンジャーを中心に、ほうじ茶の焙煎体験などを体験型コンテンツとして商品化することも検討されています。「凛茶」はお土産にもピッタリでしょう。外国人旅行者にとっても富士山は人気の観光地です。生産地というポジションにとどまらず、茶の魅力を伝える発信拠点として富士市は進化しています。
これまで出荷が中心の多くの茶の生産者にとって、消費者の生の声を直接聞くことができる機会は限定的でした。観光コンテンツ化されることで、旅行者とのコミュニケーションが生じ、モチベーションのアップにもつながります。さらには、旅行者がファンになり、消費者になる、こんな理想的なサイクルが生まれることも期待できそうです。
パリにわたる富士のほうじ茶
道倉氏には夢があります。それは、富士のほうじ茶を世界中に広めること。そして2023年7月、ついに富士のほうじ茶が海を渡り、フランス・パリにおいてお披露目ができる機会が訪れました。
このプロジェクトをバックアップしてくれたのが、1年前に富士市にお越しになり、ほうじ茶の魅力とその可能性を感じてくれたレストラン・ルクログループのオーナーシェフである黒岩功氏です。黒岩氏が経営するパリのフレンチレストラン「ル・クロ・イグレック」において、パリの飲食関係者、ジャーナリストを集めて富士のほうじ茶を体験していただくイベントを開催しました。道倉氏と、道倉氏の(無理難題に応えてくれる)同僚である松下陽子氏、そして茶レンジャーの山田氏も(そして、筆者も)パリに渡り、舌の肥えたパリのゲストの反応を確かめに行きました。
反応は想像以上! とくにほうじ茶の香りに対する評価は高いものでした。食事と合わせやすい、ドリンクとしてのアレンジの幅も広がるといった声が聞かれました。具体的な商談につながるような話もありましたが、これは今後のお楽しみ。さらには、パリ郊外の日本をテーマにしたイベント「MATSURI」にもブースを出展し、ほうじ茶の試飲を実施しました。参加者からは「ここで買えないのか、どこで買えるのか」という声が続出し、今後の海外販路拡大に向けて希望を抱いて帰国しました。
共創のポイント
当初、富士市がほうじ茶でブランド化することについては、反対意見も少なからずあったそうです。しかし、富士市の茶業がこのままでは衰退することに危機感を抱いた道倉氏が、若手茶農家たちが茶業だけで生計を立てられるようにしたいと考え、取り組みが始まりました。
道倉氏は、まずは茶レンジャーをロールモデルにして、成功事例を作り、市内全体に波及することを目指しています。道倉氏は、気になることがあれば、すぐに市役所を飛び出し、生産者や事業者を訪れ、熱意をもって語りかけます。そして、これまでに茶業に関わらなかった飲食店や小売店までもが協力し、市全体で「ほうじ茶香るまち」に向けた動きが加速しています。
淹れたてのお茶よりも熱い信念こそが、富士のほうじ茶ブランド化に向けた原動力となっています。
寄稿者 青木洋高(あおき・ようこう)㈱JTBパブリッシング 交流プロデュース部マネージャー(食マーケティング事業統括)