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残存? 解体? 東日本大震災 震災遺構12年の行方

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第3章 気仙沼市~鹿折唐桑・第十八共徳丸~

鹿折唐桑駅の跡から見る第18共徳丸

 有に60mもある第18共徳丸という船が町中に流れ着いた。ここは、海から750mほど入った鹿折唐桑というJR大船渡線の駅前だ。

 気仙沼は、東日本大震災の津波が、最大28.7mに達した。また、地震後の大規模火災も町を破壊していった。そして、この330トンもある船が陸上に取り残された姿は、津波の脅威を肌で感じるだけでなく、船の下に軽自動車が潰されている状態を目の当りにすると、言葉も出ないほどのショックを覚えた。

 JR気仙沼駅は、高台に位置するため、津波の被害を受けなかった。しかし、海抜が下がる町中へ進むにつれ被害は拡大する。線路は剥がされ、駅舎も流されて、跡形もないものとなった。

 鉄道復興には時間がかかりすぎる。そのため、国内で初めてBRT(バス高速輸送システム)というバス輸送に転換された。鹿折唐桑付近は、線路跡を活用した専用道ではなく一般道を赤いバスが走る。震災復興のため、再度、線路を敷くことよりも公共交通機関として、専用バスを一日も早く走らせることを判断したのである。しかし、輸送力が乏しくなることは、明らかだ。

 第18共徳丸は、2013年9月に解体が始まった。約7割の市民が「保存の必要なし」とアンケート回答し、判断された結果である。

住宅街であったであろう場所に流された第18共徳丸

(撮影 2013年8月29日)

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