沖縄行きの飛行機は、右手に広大な関東平野を見渡していた。ほどなく、横浜市街を抜け、眼下には緑豊かな謎のサークルが見えてくる。この場所は、戦前日本海軍が通信基地として活用していた。そして、戦後アメリカ軍に接収された。「深谷通信所」という施設、直径約1kmの円形の空き地は2014年6月に日本に返還された。
さて、その中心部は「囲障区域」と言う。そして、基地時代の要の施設が残されている。一方、周辺部は草野球の運動場や不法な耕作場と化している。2015年までは、通信施設のシンボルであった約160mの鉄塔もあった。地上でこの場所に佇むと、一瞬タイムリープしたかの錯覚にも陥る。
戦前の日本地図を見ると、白塗りにされた土地が多く存在する。これらは、軍事施設であったり、国民に知られたくない場所である。当時、ほとんどの日本人が、上空から自国を見ることはなかった。また、日本地図を眺める時間もなかったであろう。
今では、誰もができるようになった俯瞰するニッポン。まだまだ不思議な景色は、全国にたくさん存在する。そのような場所を探すのも空の旅の醍醐味である。
(2017.04.14.撮影)
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長