国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~
曾良が訪れた「国境の島」壱岐島
『奥の細道』の旅で松尾芭蕉に同行した河合曽良は、1710年、幕府巡見使の随員として壱岐に来島し、豊臣秀吉が文禄・慶長の役で朝鮮出兵を行うにあたって築城した勝本城に近い滞在先であった中藤家で病死したと言われています。そこで、巡見の志半ばで亡くなった曽良に代わり、平成芭蕉が国境の島、壱岐国についてご紹介したいと思います。
日本の西端に位置する長崎県には日本最多の971の島があり、壱岐島はその1つですが、2015年、壱岐、対馬、五島は「国境の島~古代からの架け橋」というストーリーで日本遺産第1号に認定されました。これらの島は、日本本土と大陸の中間に位置することから、古代より海上交通の要衝で、交易・交流の拠点でもあり、まさに国境の島として古代からの架け橋でした。
特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や朝鮮通信使の迎賓地として栄えました。
神道発祥の地と言われる壱峻島の月讀神社
曽良が最後に巡見使随員として訪れた壱岐島は、玄界灘に浮かぶ南北17km、東西15kmほどの小さな島ですが、島内には千を超える神社が点在し、日本国内で最も神様の密度の高いまさに「神々の島」です。これは日本本土を守るために八百万の神が国境の島である壱岐に集結しているようにも思えます。
壱岐島に数ある神社の中でも月讀神社は、日本書紀に記された月神の分霊とされ、これは京都松尾大社の摂社月讀神社ですが、壱岐の月讀神社が元宮です。そしてこの分霊により神道が中央に根付いたことから、壱岐の月讀神社は神道発祥の地とも言われています。

一支国(いきこく)の王都「原の辻(はるのつじ)」
また、壱岐は烽火台や遠見番所が設置されていた「岳の辻(標高212.8m)」を除くと山地が少ない平らな島ですが、島内各地の山麓から湧き出た水が集まる島内最長の幡鉾川(はたほこがわ)の流域平野の深江田原には、弥生時代、一支国(いきこく)の王都「原の辻(はるのつじ)」がありました。

この原の辻遺跡は弥生時代の重要な遺跡として、静岡県登呂遺跡、佐賀県吉野ケ里遺跡と並んで史跡の国宝とされる国の特別史跡に指定されています。遺跡の発掘調査は継続中ですが、これまでに先祖の霊に祈りをささげる際に使用されたと考えられる人面石や東アジア最古の船着き場などの貴重な発見がありました。中国の歴史書『魏志倭人伝』に記載されている国の中で唯一、国と王都が特定されている遺跡で、丘陵の裾に多重の環濠を掘り巡らせた弥生時代を代表する大規模な環濠集落跡です。

日本のモン・サン・ミシェル「小島神社」
遺跡からは海を眺めることはできませんが、幡鉾川を東に約1㎞下流に向かうと内海湾(うちめわん)で、この湾内には神が宿る島として崇められてきた小島があり、その小島神社の参道は満潮時には海中に沈むため、日本のモン・サン・ミシェルとも呼ばれています。
日本と大陸を行き来する古代船はこの内海湾に停泊し、小舟に荷物を積みかえて、幡鉾川を通って原の辻の船着場を目指したと考えられています。原の辻遺跡から発見された船着場跡は、大陸の高度な土木技術を取り入れて造られた王都の玄関口にふさわしい立派なもので、日本最古の船着場跡です。
いち早く海外の情報を入手できた原の辻は、海上交易で王都を築いた国際交流都市の先駆けで、日本人だけでなく、朝鮮半島から移り住んだ人もいて、活気に満ちあふれていたと思われます。実際、この遺跡に立って復元された建物と周囲に広がる田園風景を眺めれば、弥生時代にタイムスリップしたかのように感じます。

壱岐のシンボル「猿岩」と国境警備の防人物語
私は猿歳生まれのため、壱岐島誕生神話の八本の柱の一つで壱岐のシンボルの猿岩には特別に親しみを感じるのですが、東国から国境警備で派遣された防人はこの猿岩をどのように見ていたのでしょうか。
彼らは自給自足の生活をしながら防備にあたりましたが、3年の任期を終えても故郷に帰れない者が多く、防人たちの故郷や家族への思いは、『万葉集』に防人の歌として収められています。壱峻島で亡くなった河合曽良や無名の防人の物語を思えば、日本遺産のストーリーである「国境の島~古代からの架け橋」が実感できます。
「ストーリー(物語)」はたとえそれが伝説であっても設定された舞台があれば、現地を訪ねて想いに耽るのが旅の楽しみです。島にはそれぞれその土地の物語(歴史)があり、長崎の島旅はその「物語」を求め、自分の物語と対比する旅だと思います。
私は玄界灘の宝石箱と称される美しい壱峻島を訪ねるたびに、古代文化が大陸や朝鮮半島との海上交易でもたらされたことを再認識し、本土だけでは見えてこない日本全体を包むストーリーが長崎の島旅によって浮かび上がってくるような気がします。
※メインビジュアルは、壱岐のシンボル「猿島」
寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事