遠花火は昭和の人で逝く
この句には、亡き父への想いを込めました。私が海外に赴任していた折、父は66歳という若さで突然他界し看取ることも叶いませんでした。遠くで上がる花火の音にふと、昭和を生き抜いた父の面影が重なります。激動の時代を生き、平成や令和の変化を知ることなく逝った父。今のような混迷の時代を経験せずにすんだことは、ある意味で幸せだったのかもしれません。そんな思いが、夏の夜の花火と重なりました。
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