江戸時代の五街道の一つ東海道は、江戸・日本橋と京都・三条大橋を結ぶ。一方、京都から先の大坂までの交通路は、京都市中を通らず手前の大津郊外から南下する。そして、その途中には、伏見や淀の町並みが宿場町を形成した。
この区間は、陸送が発達すると同時に、淀川の河川舟運も数多くの船が行き来する重要なものとなった。ここ伏見宿は、豊臣秀吉が城を築き、城下町として発展。縦横に巡らされた運河沿いに多くの酒蔵も営みを始めた。今では、町中を貫く屋根付きのアーケード商店街もある。天井の高さは、ビルの3階までもある。そして、当時からの数々の和菓子屋も長い歴史を刻んでいる。
明治時代になると、京阪間を結ぶ交通・物流の中心は道路や鉄道に移る。そのため、淀川舟運は衰退していった。しかし、1995年の阪神淡路大震災後、災害復旧時の資機材の輸送で水上輸送が見直される。
また、ここ伏見では、往時の十石船を再現した観光船も就航している。特に桜花が散り、水面をピンクに染める頃には、国内外の観光客が早朝から舟旅を求めてやって来る。桜だけでなく、幕末の史跡もゆっくりと巡ってほしいものだ。
京都市中にはない息吹、淀川沿いの京都から大坂への宿場町は、新たな観光コンテンツを充実させ、観光客の呼び込みを進めている。

(2024.11.25.撮影)
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長