1963年、旧若松市は小倉・八幡・門司・戸畑市と合併し北九州市となる。その場所は、洞海湾と響灘に囲まれた若松半島だ。東部は古墳が散在する歴史が古い地域。一方、臨海部は工場が立地する埋立地で北九州工業地帯の一つに数えられる。
そして、この場所に象徴的な赤い橋梁がある。戸畑区と若松区を結ぶ若戸大橋(わかとおおはし)だ。当初は有料道路であった。しかし、2018年12月に無料化された。1962年9月に開通し、当時「東洋一の夢の吊橋」と言われた。全長2,068m。国の重要文化財に指定されている。
さて、開通当初は2車線で歩道が併設されていた。歩行者も有料であったが、1971年2月歩行者のみ無料となった。しかし、渋滞対策のため、歩道を車道に拡幅4車線化することになった。その結果、1987年5月に歩道は廃止された。
筑豊の石炭は、この終着駅から
若松地区の中心部には、筑豊本線の若松駅が立地する。筑豊の炭坑から運ばれてきた石炭を輸送するために敷かれた鉄道である。今では、支線扱いとなり、ほとんどの列車は折尾駅との間を行き来している。しかし、栄華を誇った名残として、ここから若戸大橋までの海岸通り(若松バンド)には、大正期を中心とした古い建造物群が数多く存在している。そして、これらはかつての石炭の歴史を物語る。現在では、内部を改装し、新たな店舗をして生まれ変わったものや歴史記念館として、当時の展示を行なっている施設もある。
合併都市である北九州市、昨今は夜景観光都市として、皿倉山や明治近代遺産の工業地帯群、若戸大橋のライトアップなどが有名だ。しかし、先人が作り上げてきた歴史・文化を歩いて学ぶことにも軸足を移し、共に集客拡大を図ることも検討すべきであろう。下関市と北九州市全域が大きな面として一体化することによって、更なる飛躍が望めると考えたい。
まさしく、ノスタルジック海峡の新たな始まりである。
(2025.01.19.撮影)
「ニッポンを歩こう」シリーズ、今回が最終回。一年間、お読みいただき、誠にありがとうございます。
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長