プロブディブ・ブルガリア

読者はブルガリアと聞くと何を思い浮かべるだろうか? やはりヨーグルトであろうか? 今年5月に同国・ルメン・ラデフ大統領が来日し天皇陛下と皇居・御所で会見した際にも、1970年の大阪万博で昭和天皇・香淳皇后がブルガリア館を訪れヨーグルトを召し上がられたことでヨーグルトが日本でも広まったことが話題に出た。陛下ご自身も、上皇ご夫妻がヨーグルトの種菌をもらってこられ、「食べて少し残しておくと、また増えていくのが興味深かった」と幼少期の思い出を語られたそうであるから、われわれ日本人にとってブルガリアはヨーグルトの国なのであろう。
ブルガリアでは、国連世界観光機関(UN Tourism)が主催する第9回ワインツーリズムの国際会議が10月に開催され筆者もブルガリアに飛んだ。筆者にとってはこのワインツーリズムの国際会議への参加は6回目となり第3回会議@モルドバではスピーカーとして登壇したこともある。開催地は首都ソフィアから約150km、車で約2時間の距離に位置する同国第2の都市プロブディブで開催された。
ブルガリアはバルカン半島の東側に位置し、黒海に面した国である。プロブディブは8,000年の歴史を有する欧州でも最古の都市の一つであり、ブルガリア第2の都市である。トラキア渓谷の中心に位置し、7つの丘に囲まれたこの街はローマ劇場、古い街並みなど、トラキア人からローマ人、ビザンチン人、そしてブルガリア人の文明が息づいている。2019年には欧州連合が選出する欧州文化首都にブルガリアとして初めて選ばれている。



またプロブディブは5,000年におよぶワイン造りの伝統があり、17のブティック・ワイナリーがある。2025年にはボルドー、ラ・リオハ、トスカーナを抑えて、European Best Destinations誌の「Best Wine Capital in Europe」の栄冠に輝いている。https://www.europeanbestdestinations.com/top/best-wine-destinations-in-europe/
ワインツーリズム国際会議
それではどのような会議であったか、国連世界観光機関が示した会議概要(案内)およびニュースリリースからの紹介である。少々堅苦しいがお付き合いいただきたい。
(筆者による抄訳)
ワインツーリズムは、文化遺産、地域開発、創造的表現の交差点に位置する。この分野が発展するにつれ、ワイン造りの伝統だけでなく、訪問者の体験を深め、場所、人々、物語との有意義なつながりを育む、さまざまな補完的な芸術や創造性を取り入れるようになってきている。会議のテーマは"ワインツーリズムの芸術 "である。ワインツーリズムと芸術の多面的な関係をフォーカスし、両者を遺産保護、創造性の促進、地域やワイン生産地の魅力向上に不可欠なツールとみなした。
会議では、「芸術」の範囲を広げ、建築、音楽、文学、視覚芸術、舞台芸術だけでなく、料理の伝統芸術、ホスピタリティ、デザイン、さらにはデジタルや体験型のストーリーテリングにも範囲を広げて、ワインツーリズム、アート、文化の相乗効果を探求し、イノベーション、雇用創出、地域開発の触媒としての役割も紹介した。そして、ワインツーリズムが文化交流の舞台であり、若い世代や低アルコールやノンアルコールの選択肢を求める人々など、多様な旅行者の共感を呼ぶ体験の舞台であることも示された。会議ではパネルディスカッション、専門家によるプレゼンテーション、マスタークラス(テーマごとのワークショップ)、現場視察などのプログラムが組まれ、世界27か国から300人以上が参加した(注・わが国からは筆者のみ)。
また世界でもっとも古くから継続的に人が住む都市の一つであるプロヴディフを背景に、会議はイノベーションと伝統の橋渡しを行った。5,000年にわたるワイン造りのルーツとダイナミックな現代シーンを持つブルガリアは、ワインツーリズムがいかに遺産と現代を結びつけ、専門家や訪問者の両方を刺激できるかの適切な例を提供した。
(抄訳おわり)
いささか堅苦しかったと思う。加えて国連機関が主導する国際会議においては、冒頭で主催国の取り組み、近隣諸国との連携や、ユネスコなどとの国際機関との協働など、政府レベルでの枠組みや取り組みの意義を語ることから往々にして始まる。
今回の会議においてもこの導入から始まったが、その後は筆者の予想を覆し本音トークも連発される興味深い展開となった。一般的にワインツーリズムというと、ワインをテイスティングし、ワイナリーやぶどう畑(ヴィンヤード)を見学するというのが思い浮かぶが、今回の会議を通じて、知らなかった意外な事実や、数ある賞を受賞している世界各地のワイナリーの経営者、デジタルを駆使して世界の旅行客をワイナリーに誘うプロたちの具体的なディスカッションを紹介しよう。
ワインの生産量、消費量も減退するなか伸び続けるワインツーリズム
実は世界のワインの生産量、消費量ともに減少している。世界51カ国が加盟して世界のワイン生産量の88%、消費量の75%をカバーしているワインに関する国際機関OIV(International Organisation of Vine and Wine 世界ブドウ・ワイン機構)によると、2024年のワイン生産量も消費量も記録的な減少となり1961年以来の最低水準となった。生産量減の主な原因としては気候変動や異常天候が指摘されている。一方、消費量の減少については、世界的なインフレによる購買力低下、中国市場の減速、地政学的リスク(ウクライナ問題など)、健康志向の広まり、若者のアルコール離れといった要因が挙げられている。
https://www.oiv.int/index.php/who-we-are/presentation
https://www.winereport.jp/archive/4993
https://www.winereport.jp/archive/5148
この結果、比較しやすい5年前と比べても生産量は7%減、消費量は3.3%減少しているが、その一方でワインツーリズムは伸びており、世界のワインツーリズムの年平均成長率は2024~2030で12.9%となっている。

https://www.grandviewresearch.com/industry-analysis/wine-tourism-market-report
この背景には、旅行者が体験(たとえば没入感のあるユニークな体験)を重視し、ワインのもつ地域性を評価していることが大きい。すなわち単にワインを飲むだけではなく、その土地を訪れることで、ワインを育んだ文化、歴史、景観やその地域そのものを体感し味わえるのが大きな理由であろう。
ワイナリーを訪れる訪問客はワインを知っているとは限らない ~ワイナリー見学やテイスティングだけではつまらない~
2019年にフランスのシャンパーニュで起業しフランス、ポルトガル、スペイン、イタリア、ギリシャ、英国のワイナリーとも提携しワインツーリズムで世界の旅行者をワイナリーにいざなうNicolas Manfredini氏(CEO・Winalist, https://www.winalist.com/)はこう語っている。彼のコメントはとても的を射ていた。
「われわれが基本的に行っているのはワイン産地での滞在を計画したい訪問者に対し彼らが探求したいものに合ったワイナリーに導くことです。ワインの初心者に対して難しいワークショップなどは不要です。レベルに合わせた体験と楽しさの両面を見せないといけません。起業当初から12か国語の言語に対応したプラットフォームを立ち上げていたので、北米からの訪問客が主要なターゲットであることが分かっていました。彼らは大きな子供のようで、楽しませる必要があります。
私たちは、伝統的で純粋に『教育的』だったワインテイスティングが、より楽しい体験へと進化してきた様子を目の当たりにしてきました。コンサートやフェスティバルなどはあらゆるワイン産地で盛り上がりを見せています。良いワイン体験とはまるで自分の家に帰れるかのように歓迎されていることであり、ワインの知識や経験に関係なく学び、発見してもらうことを歓迎する姿勢が重要です。
特にワインについて詳しく知らない訪問客にとっては『ワイナリーに行くと、言葉が複雑すぎて無知な人間に扱われているように感じてしまうことがあり、質問するのを恐れてしまう』こともあります。これは大事な点で流れるように自宅にいるように感じさせ、そこに足を踏み入れることを恐れさせないことが重要です。訪問者自身が何を期待したら良いかがわからなかったり、ワインについて何も知らないかもしれないのですから。ですからワイナリーは『あなたのレベルや経験に関係なく、学び、発見することを歓迎します。さあ入って参加してください』という姿勢が大事です」。
また、イタリアで複数のワイナリーで高品質のワインを生産し、ワイナリー内にミシュランの星付きレストランも併設しているルネッリ(Lunelli)のオーナー族のカミラ氏は「ワインに馴染みのない訪問客を怖がらせ、専門的なプレスや最終的にはワインのプロであるわれわれでさえ退屈に感じるような技術的な用語より、訪問客は、人を知り、場所を知り、ワインの背後にある物語を知ることに関心を寄せている」と語った。同社が保有する秀逸なスパークリングワインを生産しているフェラリ トレント(Ferrari Trento)では、美しいもの(Bello)と美味しいもの(Bono)の組み合わせを提供している。その考え方は、ワインオタクや純粋な愛好家だけでなく、基本的に誰もが評価できる体験だという。彼は、ワイナリーの見学やテイスティングに加え、ブドウ畑を抜けて16世紀の建物へと進み、最後は星付きレストランでのペアリングを楽しめる、特別な時間を提供していると語った。
また500年以上続くスペインの有名なワイン銘醸地であるリオハ最古のワイナリーで16世紀からスペイン王室にワインを献上しているボデガス・バルデラナ(Bodegas Valdelana)14代目のJuan氏も「私たちはワインの技術的なことや、樽や発酵方法については話をしません。訪問者に特別な感覚、長期間残る記憶を創造したい」と語り、ワイナリー内の地下にある美しい礼拝堂を案内し、またワインと星とのマリアージュ(https://www.bodegasvaldelana.com/en/experiences/stellar-marriage/)も行われている。また600年続く格式あるこのワイナリーでも空中庭園を造り、メリーゴーランドやブランコなどを設けて訪問者を楽しませることに余念がない。

後編では、アートとワインツーリズムとは何かや、世界初となるワインツーリズム・ワールドレポートのポイントなどに触れていく。
※メインビジュアルは、Provdiv,Bulgaria 出典 European Best destinations
https://www.europeanbestdestinations.com/top/best-wine-destinations-in-europe/
寄稿者 中村慎一(なかむら・しんいち)㈱ANA総合研究所主席研究員