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地域創生撮影活動 第五章 『写真は語る』名勝臥龍山荘庭園の軌跡

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同じものをもう一度造ることが難しいと言われる数寄屋造りの風雅な臥龍山荘は、日本建築技術の集大成である。そして、肱川水系随一の景勝地と謳われる「臥龍ヶ淵」に雄大な肱川と対岸の冨士山(とみすやま)等を借景にした自然との共生の傑作とも言われる。

建築家の故黒川記章氏は、ここを訪れた時に「桂離宮、修学院離宮にもないもう一つの日本建築の典型。それは多分に民家の要素をもっていることから来る力強さであろう。また、別の意味で言えば、書院造と数寄屋との実に巧な共生の意匠。あるいは、侘数寄を越えて、もうひとつの花数寄の意匠と言ってよいのではないか」(『花数寄』黒川紀章著)と絶賛されている。

(冒頭の写真は、2010年1月13日の臥龍淵の雪景色)

初夏の絶景臥龍 / 2015年5月21日撮影
初夏の絶景臥龍 / 2015年5月21日撮影

臥龍山荘と城甲家

この地は、文禄年間に藤堂高虎の家臣渡辺勘兵衛が庭園を造ったことに始まる。明治に入り、新谷藩出身の豪商「河内寅次郎」が荒れ果てていることを嘆き購入する。しかし、当時、神戸在住であった河内寅次郎に成り代わり、義理の弟であった城甲乙吉と息子の文友が、多大な貢献をしていたことはあまり知られていない。

寅次郎の妻・城甲ワキ(安政5年5月生)と乙吉の妻・城甲タメ(元治元年12月生)は、城甲與一衛の娘として生まれたが、それぞれ婿養子を迎える。それが、寅次郎と乙吉だが、文友の兄・陽一は、子宝に恵まれなかった寅次郎とワキ夫妻の養子となる。戦後、神戸から戻り臥龍山荘でその余生を送っていた。そして、最終的には臥龍山荘を大洲市に売却することとなる。行政管理に移行した後、この世を去った陽一の密葬は1980年11月、本人の意志と親族の思いによって、臥龍山荘で静かに営まれた。

河内寅次郎が眠る城甲家墓所からの眺め
河内寅次郎が眠る城甲家墓所からの眺め

いずこから見ても魅了されるすごさ

日本建築技術を結集したといわれる臥龍山荘に、近年、季節に関係なく多くの人々が訪れる。そして、ため息をついてそのすごさに驚きを隠さない。江戸時代、文禄年間から鼓動を開始し、明治、大正、昭和を経て、平成。そして、今、令和へ。

幾多の自然の猛威にさらされながらも、今日、その勇姿を私たちに魅せてくれているすごさ。対岸の如法寺河原から観るも良し。肱川という素晴らし舞台と絶景・臥龍ヶ淵、そこにいきづく先人たちの深い想いは、私たちが、次代へと送り届けなければならない「日本人の美学」を感じさせてくれる。

西洋化をめざして奔走した明治維新後の近代日本。当時は、大洲でも「製糸・製蝋」などにより隆盛期だった。その象徴的な建造物が、現存する「おおず赤煉瓦館」である。

一方、日本古来の伝統文化が次第に斜陽の時代に直面する中、千家十職を大洲の地に招き、金と時間に糸目を付けず、贅沢の限りを尽くして建築されたのが臥龍山荘だった。

祭事などで使用していた「手桶」
祭事などで使用していた「手桶」

城甲蔵と神棚に捧げるための手桶

明治22年頃に城甲乙吉が建てたとされる「城甲の蔵」には、当時の祭事などで使用していた「手桶」が保管されているが、その底面には次のような記載がある。

 明治十七甲申 林鍾中旬 祀 城甲氏        

故城甲昭三氏の子ども時代は、祖父や父親の指導で、正月やお祭りの時には、この手桶で蔵の神様に「水」を備えることが役目だったそうだ。

さらに、城甲の蔵の持つ大きな特色は、地面から120センチも積み上げた石積みの上に建てられていることだ。これは、今でも大洲の歴史と町を語るのに切っても切れない大きな意味を持つ。当時、景気の良かったこの地域は、時として「暴れ川」に変身する「肱川」の氾濫に悩まされていたからだ。

現在の堤防は、戦後設置されたもので、当時は、打つ手のなかった状況だったのだろう。「製糸・製蝋」等の原料が水害でやられてしまうと、それこそ、死活問題になった。そのため、このような高い石積みを築き、その上に蔵を建てていたのだ。

おはなはん通りでもその名残が見受けられる。「旧・沖本倉庫(思ひ出倉庫)」の裏側では同じような様子を見ることができる。 

大洲の歴史・文化を語る上には

明治維新後の大洲の歴史と文化伝承について語るには、臥龍山荘と城甲家の関わりについて記さなければならない。そのため、この原稿は、故城甲昭三氏ご夫妻のご協力で、快く取材に応じていただき、皆様方にお伝えできることとなったものだ。

臥龍山荘建築の陰には、河内寅次郎だけでなく、当地で隆盛を極めた義理の兄弟である「城甲乙吉」と息子で陽一氏の弟文友氏の果たした役割は大変大きい。そして、私たちが次の世代へと語り継いでいかなければならないことかもしれない。

(取材協力・故城甲昭三氏ご夫妻、参考文献・大洲ガイド教書他、指導・大洲市立博物館)

今般、2013年ごろにインタビューさせていただいたものを、2026年1月1日に再編集しました。

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14

寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員

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