前編(https://tms-media.jp/posts/76812/)では、米国のディスティネーション・オーガニゼーションが重視する「アドボカシー」を取り上げ、観光の価値を地域社会に理解してもらうためには、ROIの提示だけではなく、住民・政治・地域企業との対話を通じた信頼構築が不可欠であることを示した。組織の存続や財源確保が揺らぐ局面でこそ、アドボカシーは部門ではなく組織のDNAとして機能する。加えて、地域の共通価値観に基づく説明が合意形成を前進させることも見えてきた。後編では、観光地経営における「言葉」と「価値観」に焦点を当て、米国で提唱される観光レキシコン(用語集)の考え方や、住民感情を重視したディスティネーション・マネジメントの実践事例を紹介していく。
観光レキシコン(用語集)~The Tourism Lexicon~
米国においてもディスティネーション・オーガニゼーションの価値や妥当性を守るために、従来は投資収益率(ROI)などの数値に頼ることが多かったそうであるが、政治指導者たちに対して「わたしたちの組織がなければ、これらの収益(ROI)は必然的に消滅してしまう」ということを納得させるため、ROIのメッセージを価値観に基づいた訴えで補強する必要があると判断しDIにより提案されたのが観光レキシコンである*6。2018年に発表され毎年更新されている。日本人には耳慣れないものであるがDI資料をもとにご紹介したい。

もともとこのレキシコンという概念は、政治の世界で広く活用されてきた。人々(有権者)は政治的な議論やその背後にある事実を、自分自身の「価値観」に照らして枠付け(フレーミング)する傾向があることから、政治において「言葉」は重要であり、それらの言葉は慎重に選ばれる必要がある。共和党では1990年代初頭に、党員に対して議論の枠組みを形作る(フレーミングする)ために、新アメリカン・レキシコンを作成し、特定の言葉をより感情に訴えかける代替語に置き換えることを推奨してきた。そのなかでは決して使ってはいけない言葉などを列挙している*7。
例えば「ワシントン」と言える場面では決して「政府(ガバメント)」と言わないように指示している。その意図は「ほとんどのアメリカ人は、ゴミを収集し、通りを清掃し、警察や交通サービスを提供してくれる地元の政府には感謝しており、問題は『ワシントン』だ。ワシントンの支出、ワシントンの無駄、ワシントンの課税、ワシントンの官僚主義、ワシントンのルール、ワシントンの規制について、有権者に何度も何度も思い知らせるのだ」だそうだ。他にも「不法労働者」を「不法外国人」に、「税制改革」を「税の簡素化」に、「グローバル経済」を「自由市場経済」に、「石油の掘削」ではなく 「エネルギーの探査」といった具合だ。
これは、ビジネスの世界でも広く使われてきた。「ギャンブル」から「ゲーミング」への再定義である。1990年代後半に業界全体の再ブランディングを行い「ギャンブル(博打)」を「ゲーミング」と再定義した 。このたった一つの強力な言葉によって、ラスベガスやアトランティックシティ、そして世界中のカジノで行われているすべての事柄に新しい文脈(コンテキスト)が設定された。ギャンブルとゲーミングでは全く印象が異なるとは思えないか? ギャンブルにはいささか危ない印象が、それに対してゲーミングというラベルは、エンターテインメントや楽しさといった印象を持つのは筆者だけだろうか。しかし根底にある製品やサービスは変わっていない。同じスロットマシン、同じトランプ、同じサイコロである 。しかし、自分の行動を説明する際の言葉を「ギャンブル」から「ゲーミング」に切り替えたことで大衆の業界に対する見方を根本的に変えることとなった。
それでは観光レキシコンを見ていこう。DIは立法府の広範なデータベースなど活用し、連邦政府から州、郡、市にいたる全米レベルで、旅行や観光について肯定的に語る際に選出議員たちが答弁や文書で繰り返し使用したキーワードをつぶさに調べ上げ、そのキーワードが観光レキシコンとしてまとめられている。レキシコンには「コミュニティ(地域社会 Community)」「人々(People)」「仕事(ワーク Work)」といった肯定的な言葉が何度も登場し、さらに、経済発展、近隣地域、公共財などの関連トピックに関する政治的言説を分析したところ、政治指導者たちによって同じキーワードの多くが繰り返されていることが分かったそうである。
これを文脈に当てはめてみよう。一般的な表現だと「2024年、旅行は米国経済に2.9兆ドルをもたらし、約1,500万人のアメリカ人の雇用を支えました」となるが、新しい観光レキシコンを使ってこれを書き換えると、「2024年、旅行は全米各地の地域コミュニティに2.9兆ドルの経済効果を提供し、約1,500万人の勤勉なアメリカ人の生活(生計)を支えました」といった具合だ。また、「マーケティング」という言葉を「プロモーション」に変えたほうが良いとDIは推奨している*6。 マーケティングという言葉は何かを売っていて、必要に応じて削減できるビジネスの経費項目を想起させるのに対して地域の良さを打ち出すプロモーションは自分の場所に誇りを持っている住民の自尊心を呼び起こすためだそうだ。
一般的なDMOの定義は、「訪問者数を増やすために町、都市、地域、または国を宣伝する組織である。コンベンション販売、観光マーケティング、およびサービスに焦点を当て、ディスティネーションの開発とマーケティングを促進する」 であるが、新しい観光レキシコンを使うことによって「DMOはコミュニティを魅力的な旅行先としてプロモートし、住み、働くためのダイナミックな場所としての公的イメージを高める責任を負っている。旅行の影響を通じて、彼らは経済的地位を強化し、コミュニティの人々に機会を提供するのである」と地域の住民に寄りそう表現に変わってくる。
他にも例を挙げると、「観光は若者の雇用創出に寄与することができる」が「観光は若い人たち(People)に新しい機会(Opportunity)を与えこの街の未来(future)を支える産業です」に変わってくる。また、「観光は訪れる人だけでなく、この街を安心して(Safe)暮らせる、ふるさと(Home)として、家族(Family)が住み続けられる環境を守ります」といった具合だ。ここまで伝える言葉や手法*8 にまでこだわるのは、米国のディスティネーション・オーガニゼーションにとって「最も重要な顧客はもはや訪問者ではなく住民である」とみているからだと筆者は考える。
このようなコメントもあった。米国の主要都市の市長と話した際にこう言われたそうだ。「私(市長)は観光客のことは気にしない。彼らは(自分に)投票しないからだ」と。それに対して「観光客は投票しませんが、観光経済を支え、そこで働くあなたの有権者(住民)は投票しますよ」と。住民の感情(レジデント・センチメント)が重要なのはそのためである。住民が観光の力を理解すれば、選出された公職者への強力なメッセージとなる。

*7 共和党の文書は内部資料であり一般公開されていないがリークされた2006年版のPDF。
https://joshuakahnrussell.wordpress.com/wp-content/uploads/2008/10/luntzplaybook2006.pdf
*8 メッセージを効果的に伝えるための基本的な言語ルール ①簡潔に(Keep It Simple)②伝え、繰り返し、さらに伝える(Say It. Repeat It. Say It Again.)③文脈(コンテキスト)を示す(Provide Context)④ 信頼性は哲学と同じくらい重要である(Credibility Is As Important As Philosophy)
コミュニティのために 公共善(Common Good)として

昨年、イチローのメジャーリーグの殿堂入りの式典をニュースでご覧になった読者も多いだろう。ニューヨーク州のオチゴ郡クーパーズタウンにこの野球殿堂がある。実は2023年か2024年の会議で当地のDMOのカッサンドラ氏(CEO)から声を掛けられた。実はイチローが来年か再来年にどうやら野球殿堂入りを果たすようだと情報をつかんでいたようで、今から準備を始めておきたいので相談に乗ってくれと。ニューヨーク州とはいえマンハッタンから約300km離れた人口わずか1,700人の村でメインストリートは1本。信号機もわずかだそうだ。
この村に殿堂の式典や、ユースの野球大会で数十万人が訪れる。いわばオーバーツーリズムである。CEOは住民から、観光のプロモーションをするなら車で3時間以上離れた場所のみ宣伝しろとまで言われたそうだ。夏は毎週3,000人の野球選手とその家族が訪れるそうだが、以前は金曜日にその入れ替え日が固定していたので金曜日は道が混むと予想できたそうだが、今はバラバラでいつ渋滞が起きてもおかしくなかった。そこでDMOは入れ替え日拠点をサイトに貼り、地元紙に「ストレスのない少ない道を選ぼう」と啓発したり、イチローの殿堂式典に際しては、片田舎でコミュニティには多様性があまりないため、野球殿堂や商工会議所と連携して日本語の村マップや接客で使える簡単な日本語フレーズ集なども作成しホテルのフロントなどに配布したそうである。
また、地元病院と連携して、片田舎ゆえに医師の定着に課題があるため、医師の採用や定着にも協力して、DMOの観光ガイドも活用してもらい、移住してきた医師の家族が孤立しないように配慮したりしているそうである。また環境問題にも配慮し、湖面の藻が有害であるため、科学的な話を住民や観光客にわかりやすく説明し、特に犬にとって危険であるという情報を冷蔵庫に貼れるマグネットに情報QRをつけて配布しているそうだ。こうした観光客誘致という従来の枠組みを超え、交通渋滞対策、医療従事者の採用支援、環境啓発など地元課題に深く関与し、住民の生活の質を向上させることが結果的に観光地としての価値を高める新しいDMOの姿を示している。

ウイスコンシン州でミシガン湖に面したDoor郡のDMOでは、CEOにジュリー・ギルバート氏が2021年に着任した際には住民は観光客に対して非常に否定的な感情を持っており、そこで彼女は宿泊税収入の70%を原資とした「コミュニティ投資基金」を立ち上げたそうである。この基金は単なる観光促進ではなく、住民にも利益のあるプロジェクト(アクセシブルなカヤック乗り場、トレイルの整備、公園の遊具、学校の遊び場の整備など)に充てて、ようやく住民からありがとうと言われるようになったそうだ。
住民感情をひもとく
米国には観光地経営を行うにあたり、さまざまな調査・分析会社がある。本稿では価値に基づくアプローチに焦点を当てているが、経営の基盤となり、かつ議会や地域などステークホルダーに価値を証明する数字面の解析を手助けするツールも充実している。統計的な正確な価値をいかに証明しているかは、また別の機会に譲りたいが、本稿では、これまで示してきた最大の顧客である住民がどのように観光や観光地経営を捉えているかを測る住民調査について考察していく。
米国のディスティネーション・マネジメントは絶えず住民感情を念頭に置いて経営を行っており、観光地経営において「住民の支持」がいかに不可欠であるかを説いている。DIでは2018年から米国における観光における住民感情調査を毎年行っており、現在はカナダにも対象を広げている。その一端を少しご紹介したい。
・実施時期 2025年夏
・サンプル 米国4,000名、カナダ1,000名(国勢調査による分布にて設定)
・評価 10段階(8-10:賛成、4-7:中立、1-3:反対)
・その他 回答者全体のみならず世代層に分けた分析なども実施。
・主な調査結果
観光への全体的な意識:「観光は地元にとって良いことだ」という問いに米国では65%が賛成(2020年の56%から上昇)。カナダはさらに高い。
観光成長への支持:米国では68%が賛成(2020年は56%)
経済的恩恵:「観光客からの税収がなければ住民の税金があがる」という認識は米国・カナダともに半数程度生活の質と文化:観光は地元文化の保存に役立つという項目は米国で大きく伸びている。
労働力の課題:全体では約50%が観光業をやりがいのあるキャリアと考えているがZ世代(18~28歳)の支持は平均より15ポイント低い。パンデミック時に親が解雇されるのを見た影響もあり若年層への教育とアプローチが必要。

おわりに
紹介したいことが山ほどあるが、他にも米国のディスティネーション・オーガニゼーションの経営陣から見聞きしたことを以下にまとめてみた。
アドボカシーは対話である:一方的に数字を押し付けるのではなく、ステークホルダーの悩みや優先順位を聞き出し、彼らが理解できる言語や文脈でデータを提示することが不可欠である。
観光の価値の可視化:観光客がもたらす経済的利益がどのように住民の生活の質(住宅・公園・インフラなど)の向上に還元されているか具体的に示す必要がある
データのカスタマイズ:全員に同じ報告書を提出するのではなく、ステークホルダーの関心(例:環境、雇用など)にあわせてKPIを選択・強調することが効果的
危機の際のデータ収集:オーバーツーリズムや山火事などの危機に際し、迅速にデータを収集し、回復の指標とすることが組織の存続に直結する。
それにしても米国人は気さくである。知らないことを聞けば惜しみなく色々教えてくれるし親切である。サクラメントでは地元のDMOの勧めもあって郊外にある古い製糖工場跡地を活用した、ワイナリーが経営するテイスティングルームにも足を運んだ。オーナーは88歳の黒人。ANAが取り組んでいる沖縄の事業で知り合った日本人の方が日本で彼のワインの代理店もしているご縁もあった。しばらく談笑したあと彼がホテルまで送ってくれた。

助手席に座って道すがら色々な話をした。ヴェトナム戦争の帰還兵。いわゆるヴェテラン(退役軍人)である。筆者はANAの業務で米軍とも深く付き合ってきたが、ヴェトナム戦争従軍歴のある方とは初めてお会いした。陸軍のMEDIC(救護兵)だったそうだ。搭乗していたヘリが撃墜されご自身も負傷されたが、九死に一生を得たそうだ。壮絶な体験をされたのであろう、ヴェトナムの話は多くを語らなかった。除隊後はジャズの演奏家として活躍されレストランやワイナリーをもつまでになった。ただ、ご自身も癌(がん)に2度侵され、一人息子さんには先立たれたそうで淡々と物静かに語る口調にはやはり悲しみが感じ取れた。
出張であっても旅の醍醐味はやはりご当地での人との出会いである。酒類メーカー勤務の前職のおかげで国内外問わず鼻が利いて良い店を探すのは得意だが、今回も時差ボケで昼夜逆転している体内時計のせいでトイレを拝借しがてら入ったワインバーも店の階上のフラットや近所の住民たちが帰宅前に集う良き店で、店の雰囲気同様、明るく人懐っこいお客が集っており、すっかり両隣と話込んでしまった。DIが言うとおり、観光地経営の最大の顧客はまさに彼らのような住民であり、住民の温かい歓待は観光地経営の良さを映し出しているのかもしれない。


※メインビジュアルは、米国カリフォルニア州ロサンゼルス郡レドンドビーチ (筆者撮影)
寄稿者 中村慎一(なかむら・しんいち)㈱ANA総合研究所主席研究員