祈る皇女斎王のみやこ 斎宮
“祈りの都”の姿を今に伝える斎宮跡
伊勢の神宮には何度もお参りしていても、神宮にゆかりのある「斎宮(さいくう)」を知っている人は少ないようです。「斎宮」は源氏物語にも登場し、長い歴史があるものの、その実態はまだまだ謎が多く、また、斎宮の主であった斎王(さいおう)についてもあまり知られてはいません。
斎王または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の皇族女性で、伊勢神宮の斎王は斎宮、賀茂神社の斎王は特に斎院とも呼ばれました。彼女たちは単なる神職ではなく、「国家の安寧を祈る存在」として、極めて高い精神性と象徴性を担っていました。
そこで、私は「いつきのみや」とも呼ばれていた斎宮の魅力を体感すべく、三重県明和町の斎宮跡を旅してきましたが、明和町は伊勢神宮手前の伊勢街道沿いにあります。
2015年(平成27年)に日本遺産に認定された「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」は、古代日本における“祈りの都”の姿を今に伝える、極めて象徴的な物語ですが、その舞台となっているのが、この斎宮跡です。ここは、天皇に代わって伊勢の神宮に仕えた未婚の皇女「斎王」が暮らした特別な宮廷であり、政治と信仰が深く結びついた場所でした。

斎宮の姿を再現した「さいくう平安の杜」
斎宮跡の調査が始まったのは、斎王制度がなくなってから約700年後の1970年代で、発掘調査によって「幻の宮」とされてきた斎宮がよみがえってきています。斎王が住んだ宮殿の中心にあった斎宮寮庁の主な建物は、「さいくう平安の杜」に実物大で復元され、正殿、西脇殿、東脇殿の建物も、発掘調査で見つかった柱跡に造られました。空の青さと、建物の木肌の美しさが古代建築の魅力を伝え、いにしえの斎宮の姿を再現しています。
この「さいくう平安の杜」は史跡公園になっており、15mの幅がある「方格地割(ほうかくちわり)」の道路も復元されています。

斎王制度と「別れの小櫛(わかれのおぐし)」
斎王制度は、674(天武2)年、壬申の乱に勝利した天武天皇が、勝利を祈願した天照大神に感謝し、大来皇女(おおくのひめみこ)を神に仕える御杖代(みつえしろ)として伊勢に遣わしたことに始まります。以来、斎王制度は660年以上にわたって続き、60人以上の斎王が存在しますが、伝説上は、伊勢に天照大神を祀った倭姫命(やまとひめのみこと)など、さらに多くの斎王の物語を伝えています。
倭姫命は、天照大神の鎮座地を求めて、笠縫邑を出発し、宇陀から近江・美濃を経て伊勢の地(現在の明和町大淀)に入り、佐々夫江行宮を造り、カケチカラ行事の発祥となる伝説をつくったと言われています。
斎王の物語で最も胸を打つのは、都を出発する際の「別れの小櫛(わかれのおぐし)」の儀式です。この儀式は都の大極殿において、斎王の伊勢出発前に行われましたが、天皇は白の衣装を着用し、高御座(たかみくら)には座らず、床に座を設けて斎王と対面します。天皇は斎王の額の髪に黄楊(つげ)の小櫛を手ずから挿し、言葉をかけます。
「都の方に赴きたまふな(都へ戻ってこようと思ってはならない)」
これは天皇と斎王が直接会う機会は、この出発時の一度きりであるという、非常に厳しい別れを意味しており、この瞬間に彼女は一人の皇女から、神に仕える聖なる存在へと変わります。家族との別れ、恋との別れ、そして華やかな京の生活との別れの後、5泊6日の厳しい旅路「群行(ぐんこう)」に出発しました。

斎王の役割と斎宮での暮らし
斎王に選ばれると、俗世間から離れ、家族や恋人からも引き離され、潔白な身で伊勢へと旅立ち、天皇の交替、身内の不幸などがない限り、都へ戻ることは許されませんでした。
斎王の主な役目は、天皇に代わって9月の神嘗祭(かんなめさい)と6月、12月の月次祭(つきなみさい)に伊勢神宮に行き、天照大神に仕えることでした。最も重要な神嘗祭では「尾野湊(おののみなと)」と呼ばれた大淀海岸で海の禊を行っていましたが、月次祭の禊は斎宮に近い祓川で行われていたようです。
しかし、斎王の斎宮での暮らしは、天照大神に祈りを捧げる慎ましやかな生活の一方で、日常生活は「貝合せ」や「盤双六」をしながら歌を詠むといった雅な生活でした。

斎王制度の終焉
斎王制度は、天皇が国家の中心であり、祭祀と政治が一体であった時代にこそ意味を持つ制度でした。ところが、平安時代後期になると院政が始まり、鎌倉幕府の成立以降は、政治の実権は武士へと移り、天皇の役割は象徴的なものへと変化していきました。
その結果、「天皇に代わって祈る皇女」という制度の政治的・宗教的な意味が、次第に弱まっていき、建武新政の崩壊で国が乱れた南北朝時代に終わりを迎え、後醍醐天皇の娘祥子が最後でした。朝廷が南北に分裂した混乱の中では、斎王を選び、送り出すという国家的事業そのものが不可能となったのです。
斎王制度の廃止は、単なる「制度の終了」ではなく、政治の中心の変化、財政の衰退、社会の不安定化、信仰の多様化といった、日本社会そのものの大きな転換を背景にしています。それは、「どれほど崇高な制度であっても、時代とともに役割を終える」ということですが、斎王制度の精神までもが消えたわけではありません。
斎王たちが体現した「誰かのために祈る心」、「自らを律して役割を果たす姿」は、形を変えながらも現代にも受け継がれています。三重県明和町の斎宮跡を訪れると、今も変わらず美しい夕日と共に、悠久の時を超えて受け継がれる「祈りの心」が感じられ、斎王制度は消えても“祈りの本質”は生き続けていることを実感できます。

※メインビジュアルは、「さいくう平安の杜」斎宮寮と平成芭蕉
寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事