会社を始めたころは、古い作業船一隻しかありませんでした。そのため、パーティーやウェディングのお客様に提供する船は、すべて他社からお借りしていました。それは、資金力も乏しく、とても旅客船として使える船を所有できず、このスタイルが一番効率的だと思ったからです。しかし、利益構造や顧客満足度の部分で限界を感じるようになりました。このビジネススタイルを成功させるには、船を所有して船会社として歩むことが、一番の近道だと気づかされるようになったのです。
創業して8年ほど経過したころ、ITバブルの崩壊が始まりました。さらに景気が悪化し、取引していた船会社が倒産、船舶を海外へ売却と、取り扱うことができる船が少なくなりました。その結果、ビジネスモデルそのものが困窮してきました。
横須賀寄港・・・カールビンソン号
そんなある日、突然大きな案件が舞い込んできました。その案件とは、横須賀に米軍所属の空母(カールビンソン号)が寄港することです。具体的には、乗員を陸上に降ろす海上タクシーを手配してほしいというものでした。しかし、当時の東京湾には小型の交通船しかありません。そのため、約5,000人の乗員を抱える航空母艦の人員輸送は困難でした。先方が望む、100人規模で乗船できる船を用意してほしいとの意向に応えられるか、大きな問題でした。
解決方法は、全国に広がっていたマリン関係者の伝手をたどって船をお借りすることでした。そして、4隻の交通船を手配、5日間の特殊任務を無事に成功させることができました。時間のない中でも海の仲間たちが手伝ってくれて、全国から船を回航、課題解決につながりました。また、私が船長として神戸から回航した時は、航路上を通過する低気圧に遭遇しました。そのため、無理をして熊野灘沖では危険な目にも遭いました。しかし、辛うじて時間通りに回航が成功したのです。
旗艦艇・・・ジーフリート号
その功績により、今も旗艦艇として活躍する「ジーフリート号」を購入できました。それは、一か八かの賭けだったようにも思います。しかし、その時は必死で与えられた任務を全うすることしか頭にありませんでした。熱意と情熱にほだされて、快く船を貸してくださった方々、海の仲間の手助けにより念願だった船会社への仲間入りがようやく果たせました。
この時、感じたことは、私は人並み以上に強運と悪運に恵まれている。もし、あの時にトラブルに見舞われていたら、会社を継続することはできなかったと思います。人のご縁と仲間の支援に守られて、今に至っていることを常々痛感しています。これからは、この恵みを活かして、日本の旅客船業界の発展に一翼を担う気概で、業務を進めたいと考えています。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=18
寄稿者 平野拓身(ひらの・たくみ)㈱ジール代表取締役社長