大分県の湯布院町湯平温泉にある小さな旅館「山城屋」が、コロナ禍を経験して見つけた大切な宝物。そして、これからますますグローバル化する観光業界の取り組むべき課題について回を分けてご紹介します。
偶然見つけた大きな発見
2020年4月16日、日本政府は、「緊急事態宣言」の対象地域を全国に拡大しました。
当館もコロナ禍が始まって以来宿泊客が減少するなか、2月より始めた「立ち寄り湯」「ランチ」のお客様は徐々に定着しつつあったのですが、やはり全国的な感染拡大を懸念し熟慮した結果、4月から5月までの2カ月間を一時休業とすることにしました。
わが家では思いがけず休業して空いた時間をどうするかが当面の課題となりましたが、家で一日ゴロゴロしていても仕方ありません。
そこで私と家内がとった行動は、まず運動不足解消のために毎朝近所をウオーキングすることでした。
さらに、折角歩くなら平坦地ではなく、当館と県道を隔てた裏山にある通称「菊畑公園」の頂上まで歩いてみようということになりました。
「菊畑公園」という場所は、温泉街を見下ろす山の高台にある広さ1ヘクタールほどの一帯を指します。
かつては、野菊が一面に咲いていたためこの名称が付いたといわれていますが、今は伸び放題に生い茂った木々と、地元で行われる年二回の草刈りでも追いつかないほどの雑草に覆われ、お世辞にも「公園」というイメージとは程遠いくらいに荒れ果てた「ただの裏山」です。
しかしながら、この山の頂上には、その昔大学ラグビーの合宿用にと整備されたグランドが残されており、今でも地域の高齢者によるグランドゴルフなどのレクリエーションの場として時折り利用されていました。
私と家内は、毎朝、この山を歩いて登り、頂上のグランドを2~3周回って降りることを日課としました。
そして、家内と二人で歩き始めて三日目の朝、私たちは大きな発見をしたのです。
いつものように裏山を登り始めて頂上近くにたどりついた頃、一緒に歩いていた家内が突然、「あそこに何かあるよ」と言ったのです。
そこは、大きな桜の木とともに、一帯が人間の背丈ほどの雑草で覆われた小山のような場所でしたが、家内が指さす方向に目を凝らして見ると、確かに人の背中のような形をしたものが見えました。
私たちは何かに導かれるような気持ちで。傾斜地に注意しながら少しずつ雑草を分け入ってみると、そこにはなんと人間ほどの大きさの仏像が現れたのです。
石で作られたその仏像は、更に大きな岩の上に鎮座していました。
台座の岩肌は苔で深く覆われていましたが、何やら文字が彫られているようなので近くの小石で削ってみると次のように書かれていました。
「弘法大師尊 昭和三年八月奉納 発起人 麻生シズ」
その石仏はまさに「弘法大師」(空海)の像でした。
仏像は、右手に五鈷杵(ごこしょ)という仏具、左手に百八顆(か)の数珠を持った弘法大師の典型的な姿で、そのお顔はとても穏やかに見えました。
この場所のすぐ先にグランドがあるので、私自身も過去何度か訪れたことはあったのですが、それまで視界に入ることがなかったため、この仏像の存在は全く知りませんでした。
その後、近所の高齢者に尋ねてみても、「はて、そんなものがあったかな?」という具合で地元の人達にもほとんど知られていませんでした。
昭和3年に何がきっかけでこの場所にこの像が建立されたのかはわかりません。
勝手な推測ですが、およそ一世紀近く前にも、何か今回のような疫病による災いがあり、その疫病退散を祈願して建てたのではないかと思うのです。
そう考えると、令和時代のコロナ禍の最中、私たちが見つけてしまったことが何か因縁めいたもののように思えてなりません。
「見つけてしまった以上何とかしなければならない」
そんな思いに駆られ、その日を境に、私たち夫婦はこの弘法大師の石仏周辺を再び建立当時の姿へと戻すべく、自分たちの出来る範囲で少しずつ整備することにしました。
「弘法大師」の参道作り
実は、通称「菊畑公園」と呼ばれるこの山一帯には、元々多くの石仏があることで知られていました。
それらは「八十八ヶ所佛」と呼ばれ、山の斜面に沿ってさまざまな種類の仏像が立ち並び独特な雰囲気を醸し出しています。
そして、私たちが発見したこの「弘法大師」の像は、それらの石仏群のまさに頂点に位置するように建立されていたのです。
かつては沢山の参拝者が訪れていたであろうことは容易に想像出来たため、当時のように人々が訪れやすい場所にしようと参道を作ることにしました。
まずは、高齢者でも歩いて上がれるような階段作りからスタートです。
山の階段は丸太で作られたものを見たことがありましたが、まさか自分で作るようになるとは夢にも思ってもいませんでした。
しかし、今は便利なもので、YouTubeを検索してみたら製作方法の動画がたくさん出て来るのです。
やがてご近所の方の協力も得て、丸太の階段はわずか半日で出来てしまいました。
離れた地域の人たちからの協力
裏山で見つけた「弘法大師」のことは、地元の新聞でも大きく取り上げられました。
コロナ禍での出来事という話題性もありましたが、永い間に埋もれた「地域の宝」として大いに注目されたのです。
その後1週間程して、高齢のおばあちゃんを中心とする5人組のお客様が当館を訪れてくれました。
聞けば、大分県の南側に位置する佐伯市蒲江(かまえ)というところからお越しで、「先日の新聞を拝見して来ました」とのこと。
自分たちの地域にも仏像がたくさんあり、時おりボランティアで「おとちょ」と呼ばれる赤い前掛けを掛けてあげているそうです。
新聞でここにもたくさんの仏像があると知り、是非、自分たちが作った「おとちょ」を掛けさせてほしいとのことでした。
私は心から感謝すると共に、今まで地元の人たちさえ知らなかった場所に遠方より遥々お越しいただいたことに、今後の大きな可能性を感じたものです。
休耕田を50人のボランティアが開拓
弘法大師の参道作りと「八十八ヶ所佛」の周辺整備を行うことが日課となった私たちですが、少しずつ手を加えていくうちに、四季折々の花が見られる「花公園」のようなものが出来たらどんなにいいだろうと考えるようになりました。
しかしながら、自然の中の「花公園」はそうたやすく出来るものではありません。
まずは人間の背丈ほどある雑草を刈り取って土を耕すところから始めなくてはならないからです。
「荒れ果てた裏山に花公園を作りたい」
そんな夢物語をあらゆるところで話していたら、ある日、知り合いを通じて「是非お手伝いさせてほしい」という声が届きました。
それは、県内のボランティア団体の方たちで、災害復旧などの際にいち早く駆けつけてわが身を惜しまず地域のために奉仕活動をされている方たちでした。
私たちの湯平温泉も、その年の7月に豪雨災害に見舞われたのですが、河川周辺の復旧作業は概ね落ち着きを取り戻していたため、この町の「将来の活性化に繋がる」お手伝いとして協力させていただけないかという申し出でした。
私は大変うれしく思い、すぐに場所の選定を行い、土地の所有者の承諾を得て、今は使われなくなった「休耕田」をその方たちにお任せすることにしました。
作業当日、予想を上回る50人のボランティアにお集まりいただき、一斉の草刈り作業から道路の清掃までをわずか半日で終えることが出来たのです。
これから先、何年かかるかわかりませんが、荒れ果てた裏山はかつて「菊畑公園」と呼ばれた「地域の憩いの場所」へと少しずつではありますが戻り始めたところです。
何もしなければ何も変わりませんが。小さなことでも行動を起こせば、必ず誰かが見ていて助けてくれます。
これまでに「コロナ禍で見つけた3つの宝」としてご紹介したいずれの宝も、結局のところ、こうした「ひと」とのつながりが大きな力を持ちうるものだと実感しているところです。
ないものを嘆くな、あるものを活かせ
一般的に観光地と呼ばれるところは、常に「目新しさ」や「変化」が求められているように云われています。
そのため、観光地として特に見るべきものが無く、いつ来ても同じ風景であれば「飽きられる」と考えがちです。
もちろん、常に「進化」は必要だと思います。
しかし、その「進化」は、決して「目新しさ」や「豪華さ」ではないと私は考えます。
もともとその地域にあったもの。長い年月でいつしか忘れ去られたもの。
そういう「埋もれた資源」を磨き直して、時代に合わせた「進化」を図ることの方が重要であり、観光地としても一施設としても、先ずは取り組むべきことではないでしょうか?
「ないものは嘆くな、あるものを活かせ」とは、かの有名な松下幸之助氏の言葉ですが、観光に関しても同じことが言えると思います。
一見、観光地とは思われず、住んでいる人たちでさえも「ここは何もないところです」という地域も、よくよく探してみれば「埋もれた地域資源」が眠っているのではないでしょうか?
今回の「コロナ禍」で、数多くの失ったものと引き換えに、私自身は大きな「宝物」を見つけることが出来たのです。
寄稿者 二宮謙児(にのみや・けんじ)㈲山城屋代表 / (一社)インバウンド全国推進協議会会長