私は「鉄オタ」というほどではないが、子どものころ、乗り物が好きであった。将来なりたい職業のひとつはバスの運転手。それは、都城には路面電車などなかったし、小学校も宮崎交通のバスで通っていたから、当然だった。休日にバスに乗ってうろうろしていたものの、高学年ともなると遠出がしたくなる。
上から読んでも、下から読んでも・・・
国鉄に乗って初めて旅をした場所が鹿児島県志布志だと記憶している。ここには「志布志市志布志町志布志2丁目1-1」などという地名もある(市役所の所在地だ)。上から読んでも下から読んでも「しぶし」など、くだらない冗談を言っていたが、私はここを宮崎県だとばかり思っていた。
当時は志布志線38.6キロが西都城駅から志布志駅までつながっていた。吉都線から旧鹿児島本線(肥薩線)に入り、人吉を経て熊本へ、日豊本線で鹿児島や宮崎へ、そして志布志線で志布志湾、そこから日南線で油津(港)や飫肥へとつながる都城は、南九州を結ぶ交通拠点のひとつであった。さぞや栄えていただろうに違いない。
県境の終着駅には・・・
1964年の「交通公社の時刻表(完全復刻版)」によると、上り下りがそれぞれ一日12本。うち準急「大隅」(後に快速)が西鹿児島から志布志直通で1本、4~5本は日南線で都城から志布志経由で宮崎まで行く。西都城駅のとなりの今町駅の名前はいまでも覚えているが、その次の末吉駅との間に鹿児島との県境がある。
1987年に廃線となり、志布志駅はいま日南線の終点として1日8本の宮崎方面の上り列車がある。しかし、うち3本は油津止まり。ちなみに、隣の大隅夏井駅までが鹿児島で、その次の福島高松駅は宮崎だ。あながち、志布志を宮崎だと思い違いするのも根拠のないことではなかろう。今では、行き止まりのターミナルとなった志布志駅のたたずまいは寂しい。ただ周りの道のつくりをみると、都城方面に鉄路がつながっていた名残を感じることができる。
遠く、大阪までの「物」「人」の流れを・・・
志布志駅から車で5分。港には大きな船が泊っている。ここから大阪までの物流と人流を担うサンフラワー号だ。平日は18時前に出航。到着は明朝8時前。1万4千トン、600人以上が乗れるという。そういえば、幼心に、「いつかこの船で大阪にいってみたい」と思っていた。旅は北への陸路だけではない。南から海を通って、大都会に行けるのだと。
フェリーターミナルの売店で、「さつま黒若潮」焼酎を購入。さあ、これから県境をドライブで越えて、串間から都井岬へと向かおう。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=20
寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授