大分県の湯布院町湯平温泉にある小さな旅館「山城屋」が、コロナ禍を経験して見つけた大切な宝物。そして、これからますますグローバル化する観光業界の取り組むべき課題について回を分けてご紹介します。
受け入れ体制の強化
「コロナ」という世界的な災難に見舞われた3年間、私は多くの失われたものと引き換えに「3つの宝」を見つけることができました。
そして同時に、経営する「旅館」という観光施設にとって最も大切なことは、「二度三度と来ていただけるリピーター」であることを再認識いたしました。
10年後、20年後も来ていただけるお客様を確実に増やす努力が、施設にとっても、また観光地という地域単位においても最優先に取り組むべきことだと思うのです。
そのためには、国内外を問わず、二度三度と来ていただけるためのしっかりとした「受け入れ体制の強化」が求められます。
2018年4月、私は、この「受け入れ体制の強化」を主な目的として、「インバウンド推進協議会OITA」という民間団体を設立しました。
実は、この団体を立ち上げた経緯として、私にはひとつのきっかけがあったのです。
ドアの開かない列車
私の旅館は大分県の由布市湯布院町の湯平温泉というところにあります。
湯布院町といっても、全国的に有名な由布院温泉からは15kmほど離れた山里にあり、最寄りの駅は無人駅の「湯平駅」というところです。
駅から温泉場までの交通手段として、20年程前までは路線バスも走っていましたが、過疎化が進む中でそのバスもなくなり、当時は駅前にタクシーが1台あるかないかといった状況でした。(現在はコロナ禍の影響で更に常駐していたタクシーさえもなくなりました。)
そんなわけで、旅館関係者は、列車でお越しのお客様を日に何度もお迎えに行く必要があります。
多くの観光客は、福岡の博多駅から由布院駅まで特急でみえられ、次に由布院駅から湯平駅までの普通列車に乗り換えます。列車は2両編成のローカル車両で運転士だけの「ワンマン列車」です。
この列車は「湯平駅」に到着すると、車両のドアは1両目の列車しか開きません。
なぜなら、「湯平駅」は改札の無い「無人駅」であり、下車する乗客の切符は運転士が回収しなければならないからです。
ここで時々ちょっとした問題が起こります。
前の車両のドアしか開かないことを知らない乗客が、後ろの車両の「開かないドア」の前でじっと待っているのです。
車内では事前に「前の車両の一番前のドアからお降りください」というアナウンスが多言語で一応放送されてはいますが、「列車のドアは開くもの」という先入観からか、あまり耳に入っていないようです。
停車中、結局ドアは開かずにそのまま発進してしまい、降り損なった乗客は次の庄内駅というところで慌てて折り返すか、そこから泣きそうな声で私たちに電話をしてくることになります。
おもてなしは空港に着いた時から始まる
皆さんは、初めて訪れる旅行先で、このような体験をした人がもう一度この地を訪れたいと思うでしょうか?
答えは「ノー」ですよね。
お客様が少しでも不安を感じる要素があったとしたら、それらの種は出来るだけ取り除いてあげるべきです。
以前、私は地元の大学生たちと観光について話し合ったことがありました。
「おもてなし」というテーマでディスカッションする中で、彼らの口から「おもてなしは空港に着いた時から始まっているのでは?」という声が聞かれました。
確かに彼らのいう通りです。
私たちは、つい自分たちの施設の中だけの「おもてなし」を考えがちですが、もう一度来ていただけるかどうかは、目的地に辿り着くまでの体験も大きく左右されることでしょう。
そう考えると、これは列車に限ったことではありません。
バスやタクシーなどの公共交通機関全てにかかわることになりますし、街のサイン(案内板)や緊急時の受入体制など広範囲に及びます。
これは到底一施設でどうこうできる問題では無いのです。
不安の種を取り除きたい
当初、私はこのような問題に対して、まずは自助努力で出来るだけの対応に務めることにしました。
地元の留学生と共に制作した「列車の乗り降り」のハウツー動画もその一つです。
中国人と韓国人の留学生が観光客役となり、由布院駅に到着したところから湯平駅までを列車で移動する様子を詳しく再現した動画です。
撮影は私自身が行い、字幕の翻訳は留学生たちにお願いしました。
この動画を、あらかじめメールなどでお客様へ送り、事前に列車の乗り降りについて知って貰おうという試みです。
もちろん、当館のホームページにも掲載していますので、誰でも見ることが出来ます。
ご覧になったお客様からは、「とても分かりやすい」というご感想をいただくこともあり、それなりに効果はあります。
しかしながら、列車でみえられる全てのお客様へお知らせすることは困難ですので、できることなら、全車両のドアを開けて欲しいというのが正直な気持ちです。
このことは、私が6年前に上梓した著書『山奥の小さな旅館が連日外国人客で満室になる理由』にも書かせていただきましたが、残念なことに6年経った今も状況は全く変わっていません。
6年経っても変わらないということは、よほど技術的に難しい問題や社内的にも対応困難な理由があるのでしょう。
旅館業を営んでいる私たちとしては、この地区に列車が走っていただけるだけでもありがたいので何とも言い難いというのが現状です。
バスなどの公共交通機関が次々と撤退するなか、この先、仮に列車の運行そのものが無くなってしまうようなことがあれば、毎日、中心部である由布院までの往復約40分の送迎を自前で行わなければならなくなります。
それは現実的に不可能であり、私たちの営業そのものが成り立たなくなる話です。
しかし、だからと言ってこのまま黙って手をこまねいているわけにもいきませんし、見渡せば県内の他の地域でも、多かれ少なかれ同じような問題を抱えているのではないかと思うようになりました。
「無いものは作れ」
そこで、このような課題を地域で共有し、解決へ向けて声を上げていくことを目的として、「インバウンド推進協議会OITA」という民間団体を立ち上げることにしたのです。(現在は、「インバウンド全国推進協議会」という名称です。)
実は、この時点において、同じような主旨を目的とした団体は少なくとも県内には存在していませんでした。
これまでに、「あるものを生かせ」という考えのお話をしましたが、今度はその対極的とも言える「無いものは作れ」という発想です。
まずは大分県内の各地域より7名の運営委員を任命させていただき、その7名から更に紹介を重ねて会員を募った結果、およそ120名の個人会員・企業会員にご参画いただけました。
何事も一度に劇的な変化は期待出来ませんが、それでもなにがしかの声は上げ続けて行くことが大事だと思っています。
必要な人に必要な情報を届ける
私が協議会を作ろうと思ったきっかけは他にもあります。
それは、既存の「情報伝達」に問題を感じたからです。
通常、国や県からの観光施策に関する情報はメールやFAXなどで組織的に末端の施設まで届くようになっています。
それは補助金の情報であったり、各種セミナーの案内であったりします。
しかしながら、この上から下へ組織的に伝達される中で、どこかの部署が「必要ない」と判断すれば、そこから下には流れないという現象があったのです。
情報が届かなかった人たちからは、「そういう補助金があるなら使いたかった」や「そんないいセミナーがあるなら聴きたかった」という声が多く聞かれたのです。
そこで、少なくともインバウンドに関する情報であれば、「必要な人に必要な情報が確実に流れる」という、いわば横断的な組織が必要と考えたのです。
見えてきた課題
私たちの協議会は2カ月に一度の定例会を行い、その時々のテーマに沿った基調講演とワークショップ形式のディスカッション等を行います。
その後、このディスカッションを重ねることで、インバウンドに関するさまざまな課題が浮き彫りとなり、最終的に次の6つの課題に集約されました。
①言葉の問題
接客や応対における言語能力やコミュニケーション力に不安を感じている。観光名所の説明や看板等の表記に問題がある。
②意識の問題
関連業者や行政、あるいは一般住民の間でも温度差や意識の違いを感じている。
③インフラの問題
交通アクセス(タクシー・バス・列車)において、利用者目線での対応が出来ていない。パンフレットや案内標識も不十分である。
④ニーズ・情報発信の問題
外国人から求められる商品やニーズが把握出来ていない。情報発信の方法も分からない。
⑤地域資源の活用
観光客の目的や興味が分析できていない。地域資源が一覧できる情報集約したものがない(テーマ別・四季別)
⑥地域連携の問題
行政と民間との連携不足。公共交通機関の充実や自転車の活用。モデルコースの不足。
これらの課題が挙げられましたが、どの課題も一朝一夕に解決できるものではありません。
しかし、同じ問題意識を持つ人たちが共に知恵を絞り、本気で取り組めば、時間は掛かってもいつかは確実に一歩前進できると信じています。
コロナ禍でインバウンド客が実質ゼロとなった3年間も、私たちは来るべき復活の時を見据えて話し合いを重ねて来ました。
あきらめずに取り組んだ結果、この課題解決事業を県の委託事業という形で大きく前進することが可能となりました。
そして、この委託事業のおかげで、私たちはさらなる目標を掲げ、団体名も「一般社団法人インバウンド全国推進協議会」へと改組・改名し、その対象を全国へと広げることとなったのです。
寄稿者 二宮謙児(にのみや・けんじ)㈲山城屋代表 / (一社)インバウンド全国推進協議会会長