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ボーダフル・ジャパン 第3部 第1話 花は霧島・焼酎(さけ)も霧島

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「花は霧島」で始まる鹿児島の代表的民謡おはら節。この唄のルーツは都城とされる。だが「霧島」と言えば、何よりも芋焼酎。なかでも「黒霧島」は、ほぼ全国津々浦々のコンビニで買える、日本でもっとも飲まれている焼酎で、その威力はすさまじい。もともと芋焼酎といえば、代名詞は鹿児島。長年、売り上げ日本一ももちろん鹿児島だった。だが近年は違う、霧島のあまりにも大きな存在が、鹿児島の総売り上げを凌駕する。霧島酒造は10年以上、ナンバー1の座をキープしている。

焼酎メーカー売上高ランキング(2023年)

幼少の記憶・・・霧島酒造

第1部で、私の小学校時代の話を書いたが、ふるさと都城。その中心街から大淀川の支流、沖水川を渡ったところに、親父が働いていた都城高専(1964年に設置)があった。その川の手前にある霧島酒造は、1916年の製造を起源とする由緒ある歴史をもつが、私が幼少時の記憶ではとてもローカルな会社に過ぎなかった。

鮮明な記憶は、私が通っていた明道小学校の「父兄イベント」の弁当とともに、緑のプラスチックの一合とっくり(おちょこ付き)が配られたこと。ご存じの方も多いと思うが、霧島の主力は25度ではなく、20度と低い。理由はいろいろあるようだが、地元の人はこれを「き」で飲む。カンにするにもそのままこれをつける。鹿児島のお湯割り文化とは違う。都城はやはり鹿児島ではない。

(20度焼酎は、日本のひなた「宮崎」を照らす)

2000年代の焼酎ブームが霧島酒造を変える。1999年発売の「黒霧島」、これに続く「赤霧島」などヒット商品がつづき、2011年に本社工場増設。2012年には業界トップにたつ。数年前、久しぶりに都城を訪問した際、その景観の変貌に眼を疑った。川の手前に、霧島酒造の大工場が広がっている。「ふるさと納税」でトップを占める一翼に霧島の存在が確固としてある。「茜霧島」に「白霧島」。黄麹をつかった「虎斑(とらふ)」も有名だ。いまなら個人的には、もつ鍋を食べながらの「茜霧島」ロック、が好みだ。

沖水川沿いに望む霧島大工場
沖水川沿いに望む霧島大工場

後を追いかける・・・雲海酒造

ただ宮崎は霧島だけではない。私の小学校の頃の友人たちは「木挽BLUE」を勧める。当時は見かけなかったが、いまなら全国のドラッグストアで買え、お湯割りならむしろ私はこちらが好き。この焼酎を作る雲海酒造はもともと(都城のライバル?)延岡に近い五ヶ瀬町をルーツに1967年と設立は遅い(現在は宮崎市に本社)。だが、1973年にそば焼酎を世界で初めて創り出した会社として知られ、「雲海」のブランドは(少なくとも九州では)一世を風靡した。

今は亡き私の叔父(福岡在住)は「雲海」一筋で、私がどんなにうまい焼酎を持参しても、眼もくれなかった。私は味が苦手だったが、最近は飲める。たまに居酒屋で見つけると喜んで頼む(天邪鬼なので、「黒霧島」は他に選択肢がない限り、飲まない)。「木挽BLUE」が発売されたのは2017年とわずか8年前。これじゃあ、宮崎の独走が続くはずだ。

都城ひとり飲み:冷や汁にブルー
都城ひとり飲み:冷や汁にブルー

においに抵抗感!?

大好きな白霧島
大好きな白霧島

私が人生で最初に嗜んだのは、鹿児島の焼酎だが、焼酎のにおいを嫌う同級生が多かったのに対し、抵抗感がなかったのは、私が幼少時から焼酎に囲まれていたからだろう。

不定期配信で始まった第3部。酒とボーダーのシリーズです。まずは故郷の焼酎から。当分、焼酎が続きます。もちろん、次も芋。そして黒ではなくて白・・・。

(つづく)

(これまでの寄稿は、こちらから)

https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=20

寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ)

北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授 

兼 長崎大学グローバルリスク研究センター長

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