大分県の湯布院町湯平温泉にある小さな旅館「山城屋」が、コロナ禍を経験して見つけた大切な宝物。そして、これから益々グローバル化する観光業界の取り組むべき課題についてご紹介した本連載『二度三度来たくなる観光地作り』もいよいよ今回で最終回となりました。最後までご覧いただけますと幸いです。
「ノーイングリッシュ!ノーイングリッシュ!」
今でこそ、どこの観光地も外国人客の姿が珍しいことではなくなりましたが、私がインバウンド集客を始めた当初は地元でも極めて珍しい旅館として一目置かれるようになりました。
「言葉が通じなくて大丈夫?」
「何カ国も来たら、色んな国の言葉を覚えないといけないから大変でしょう。」
近隣の旅館関係者からは、そんな心配の声も聞かれました。確かに言語は重要です。
幸い、当館の女将である家内は外語大の出身ということもあり、多少英語が話せたことが助かったのも事実です。
九州は比較的アジアのお客様が多いのですが、おおむねどこの国の方も英語を話されます。もちろん、母国語ではありませんので、ヒアリングはお互いに聞き取りにくかったりすることはありますが、共通言語である英語を習得すれば、大概の国の方とコミュニケーションは取れます。
しかしながら、ここにひとつ問題がありました。
当時、当館でまともに英語を話せるスタッフは女将だけでしたので、彼女がいない時はまさにお手上げ状態だったのです。特に一番のネックは「電話応対」でした。
女将がたまたま留守をしていて、仕方なく高齢のスタッフが電話を取ると、いきなり英語でのお問い合わせがあったりします。
慌てて、「ノーイングリッシュ! ノーイングリッシュ!」と言って電話を切ってしまう。実はそんなことも多々ありました。
おそらく、日本全体として、訪日外国人客の増加とは裏腹に、外国人客に対してあまり積極的な旅館が少ないということの原因はこういうところにあるのではないでしょうか?
私もそうですが、学生の頃から、「正しい文法・正しい発音で話さなければならない」という強迫観念にも似た思いから、頭では理解出来ても「なかなか言葉が口をついて出ない」という状態に陥るのです。
その結果、「できるだけ外国人と話すまい」「目を合わさないようにしよう」ということになってしまいます。
特に高齢の方ほど最初から拒絶反応を示して、「もう無理!」と決めてかかる人も少なからずいるようです。
残念ながら、そう考える旅館関係者の数は決して少なくはないのです。
一番の悩みが「言葉の問題」
私は、2018年4月に、大分県内のインバウンド受け入れを推進する人達と共に「インバウンド推進協議会OITA」(現:インバウンド全国推進協議会)という組織を立ち上げました。
これは、インバウンドを推進する上でのさまざまな課題と悩みなどをお互いに共有し、協議して知恵を出し合い、より効果的な解決策を組織的に図ろうというものです。
課題解決のためのアンケートを取ったところ、大きく分けて6つの課題が浮き彫りとなりました。
①言葉の問題
②意識の問題
③インフラの問題
④ニーズ・情報発信の問題
⑤地域資源の活用
⑥地域連携の問題
そして、これらの課題について、2回にわたり、延べ87名によるグループディスカッションを経て、具体的な解決策を探りました。
実は、結果として最も具体的な解決策が多く見つかったのが、この「言葉の問題」だったのです。
協議会のグループディスカッションでは、日頃の体験を踏まえて、どうしたら「言葉の壁」を乗り越えられるかという課題について会員同士で熱心な議論が行われました。その内容は、次のようなものです。
・ヒアリングが難しい
・体調不良の方の症状が正確に把握できなかった
・単なる物品販売を超えたコミュニケーション能力不足
・交通アクセスの説明が難しい
・入店のお客様がどこの国の方か分からず声掛けが難しい
・海外のお客様に対応していると、その間に日本のお客様が逃げる(避けてしまう)
これらの課題について、その後いくつかの解決策が提案されました。それは、「在住外国人と日常で交流する」「多言語コールセンターの活用」「留学生のインターンシップ活用」などでしたが、その他に、実は意外な解決案がありました。それが、「基本は日本語対応」というものでした。
言語能力の不足による不具合は当然のこととして、それ以前の、「外国人に対する苦手意識」を原因とする「コミュニケーション能力不足」を問題視する声が多くあったのです。
なかには、外国人と見ると、お店のスタッフが隠れてしまったりすることもあるそうです。
そのような苦手意識を克服してくれるのが、まさに「日本語対応」ではないかという提案なのです。
もちろん、これは相手の日本語能力とは関係なしに全てを日本語で押し通そうということではありません。あくまでも「最初の一言は日本語で話しかけましょう」ということです。
日本を訪れる外国人は日本が好きで来ています。そのため、あらかじめ簡単なあいさつ程度の日本語は自分で勉強して知っています。できるだけ日本人と日本語で話したがっています。
しかしながら、日本人は外国人と見ると、いきなり無理をして英語で話しかけてくるため、折角の日本語を話す機会を失ってしまう。
考えてみれば、このことは、私たちが外国旅行をする際も同じだと思うのです。韓国へ行けば、できるだけ覚えたての韓国語を話して会話したいという気持ちと一緒です。「アンニョンハセヨ」と話しかけて、相手が「アンニョンハセヨ」と返してくれたら本当にうれしいものです。
まずは日本語で話してみる。そこで相手がちょっと首を傾げたら英語に切り替える。そうすることによって、外国人だからといって逃げることはなく、先ずは最初の一歩をスムーズに踏み出すことが出来るのです。
さらに、相手の方が日本語を話せたらお互いにとってハッピーです。課題の中の「入店のお客様がどこの国の方か分からず声掛けが難しい」といった問題もこれで解決します。
まずはコミュニケーションの最初の一歩を踏み出すことに成功するのです。
山城屋で取り組む「やさしい日本語」
当館のお客様は、約9割が外国人です。そのうち、約5割が韓国人、次いで香港・中国本土・台湾・タイ・シンガポール・ヨーロッパ系となっています。
そのため、日常的に韓国語と英語を多く耳にしますし、以前は私たちも、最初は英語で話しかけていました。
そこを切り替えて、先ずは「やさしい日本語」で話しかけてみることにしました。
「やさしい日本語」とは、日本人同士の会話でよくありがちな「話を最後まで言わない(推測させる)」「熟語を使う」「外来語(和製英語)を使う」「オノマトペ(擬態語・擬音語)を使う」などを極力避けることです。さらに、「は・さ・み」(はっきり、最後まで、短く)というセオリーも重要です。
私はこのことを、私だけでなく、当館山城屋の女将や従業員にも理解して実践してもらうことにしました
最初は戸惑われるお客様もおられましたが、こちらがニコニコと笑顔で「こんにちは」と言えば、お客様も自然と笑顔で「こんにちは」と言ってくれます。
私は、何よりも、この「笑顔」が大事だと思っています。私たちが普通に日本人のお客様と接する時と同じように日本語で話しかけることにより、「肩の力を抜いた」接客が自然と笑顔を生むことになるのです。私たち自身が、慣れない英語で無理して話しかけても、その顔は少しこわばっているのではないでしょうか?
普段と同じように笑顔で話しかける。そして、その気持ちは相手のお客様にも伝わって、お客様自身も笑顔になれます。
このことは、コロナ禍を経て客足の回復した当館の中で、ひときわ注目する一人の女性スタッフの接客にもあらわれていました。
彼女はまだまだ若くて接客業に携わって間もないのですが、彼女がレストランへ接客に行くと、いたるところで笑いが沸き起こるのです。
特別に流暢な英語が話せるわけではないのに、どんな国籍の方であっても同じようなリアクションを何度もみかけました。
私はある日、「接客で心掛けていることは何?」と尋ねてみると、「先ずは笑顔です!」と即答で返って来ました。
あとは、知っている限りの英語とジェスチャーで自然と笑いが生まれるのです。
私は、「やさしい日本語」の最も大きな効果は、まさにこの受け入れ側の「肩の力を抜いた」接客による精神的なメリットではないかと思っています。
別府市で取り組む「ひるまち にほんご」
以前、私はあるきっかけで、大分県の別府市で行われている「ひるまち にほんご」という会に参加しました。
この会は、別府周辺に住む日本人と外国人が「やさしい日本語」で交流する会で、別府市にある大学(立命館アジア太平洋大学)の言語教育センターの教員の方たちがボランティアで運営している会です。
活動内容としては、毎回違ったいろいろなトピックに沿って、参加者同士が『やさしい日本語』で話したり、ゲームやクイズを通して楽しく交流しています。
会の大きな目的は、日本人と外国人が『やさしい日本語』を媒介にして歩み寄ることですが、留学生を含めた外国人にとっては覚えた日本語を使って日本人と交流できる場として、また日本人にとっては、外国人と日本語で交流できることを知り、また相手に合わせて工夫した日本語で言いたいことを伝える体験の場としても機能しています。
私はこの会に参加して、あらためて「やさしい日本語」で話すことの意味を考えてみました。
「やさしい日本語」を意識して話すことは、実は日本人にとって意外と難しいものです。
それは、話す前に、相手の外国人の立場に立って、「どう言えばわかってもらえるか」を常に意識しなければならないからです。
しかし、この「相手の立場に立って考える」ということは、何も外国人に限ったことではありません。
相手の立場に立って考える
私は、以前、由布市湯布院町にある「公益財団法人 人材育成ゆふいん財団」の理事を務めていましたが、その財団が取り組んでいるものに「ユニバーサルツーリズム」というものがあります。
これは、由布市にみえられる、あらゆるお客様を対象とした「おもてなし」のあり方を追求するものであり、外国人客のみならず、障がい者の方々、高齢者の方々など広範囲に及ぶものです。
しかしながら、いずれにおいても基本的に「相手の立場に立って考える」ということに変わりはありません。
相手の方が、「どうしてもらったら喜ぶだろうか」、逆に「どうされたら困るだろうか」ということを常に意識した応対を考えるということです。そのためには、私たち自身の中に「やさしい心」がなければなりません。
アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)
例えば、旅館の中で当たり前に用意されているスリッパと羽織ですが、「男性は青色、女性は赤(ピンク)色」という先入観がありました。
「多様性の時代」と言われている中、「相手の立場に立って」考えた場合に、はたしてこれで良いのだろうか? と疑問に思いました。
そこで、当館ではスリッパの色はサイズ別に分け、青色はS、緑色はM、茶色はLとし、羽織の色は男女兼用で紫色に統一しました。
また、ご予約プランの中の「カップルプラン」という名称を無くし、「お二人様プラン」へと変更もしました。
旅館業として、出来るだけ多くの方に安心してご滞在いただけることを第一に考えることは当然のことと思っていましたが、実は、アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)というものが私たちの身近にあることにあらためて気づかされたのです。
安心感が満足感に変わりリピーターを生む
これまで、「二度三度来たくなる観光地作り」というテーマで回を分けてお話して来ましたが、そのために最も大事なことは、「相手の立場に立った環境作り」がどれだけできているかということではないかと思います。
それは、国内外を問わず、また、年齢や性別を問わず、障がいの有無を問わず、あらゆる人々に対して同じことが言えるのではないでしょうか。
観光業を営む私たちは、このことを常に念頭に置いておく必要があり、そのために日々知恵を絞り工夫して行かなければならないと思います。
やがて、その先にお客様の「安心感」を生まれ、心地よい「安心感」の積み重ねが「満足感」へと変わり、「もう一度行こう!」という「リピーター」へとつながることでしょう。
ともすれば「一見客」のみを追いかける誘客宣伝に目が行きがちな昨今ですが、コロナ禍を経験した今こそ、「10年後も確実に来てくれる環境づくり」に本腰で力を入れるべきだと私は思います。
その結果、誰もが「もう一度行きたい」と思う観光地は、住んでいる私たち自身にとってもきっと間違いなく「住み良い町」に他ならないからです。
「いつかは行きたい観光地」よりも「もう一度行きたい観光地」を目指して、私たちは日々進化し続けなくてはならないのです。
(終わり)
寄稿者 二宮謙児(にのみや・けんじ)㈲山城屋代表 / (一社)インバウンド全国推進協議会会長