「観光公害」という言葉
約3年間のコロナ禍を経て、インバウンド(訪日外国人旅行)はかつてのにぎわいを取り戻しています。
一方で、コロナ禍前から指摘されてきた「オーバーツーリズム」という課題も再びクローズアップされています。
「オーバーツーリズム」とは、観光地にキャパシティ以上の観光客が押し寄せ、街中の人混みや交通渋滞、騒音やゴミの問題、環境破壊や、それらを原因とした地域住民と観光客とのトラブルなどを指す言葉ですが、日本語では「観光公害」と表現されることがあります。
ですが、私は、この「観光公害」という言葉に大きな違和感を覚えるのです。
確かに、上記のような問題はインバウンドの増加と共に顕著になったことではありますが、「観光」が「公害」であるという表現がどうしても腑に落ちないのです。
仮に、私たちが観光客として海外の人気の観光地に足を運んだ際にも、今度は私たち自身が「公害」と呼ばれるのでしょうか?
もちろん、一部のマナーを守らない人たちによる迷惑行為が最も大きな問題であることは分かりますが、「交通渋滞」や「街中の人混み」の一人ということだけで公害扱いされてはたまったものではありません。
ましてや、私自身が宿泊業を営む身としては、日常的に観光客がいなければ営業が成り立たないわけですから、その観光客を公害とは口が裂けても言えません。
コロナ禍の約3年間、人流の抑制が叫ばれる中、観光地はどこも閑散としていました。
そうした中、「外国人がいなくなってやっと静かになった」「これからは日本人だけの観光地で良いのではないか?」といった声があちこちで聞かれました。
もちろん、観光地が閑散としたままで良いわけがなく、ましてや、日本の人口が既に減少傾向へ転じているなか、国内市場に限れば今後の観光客数は次第に頭打ちどころか下降状態となることは目に見えています。
しかしながら、それでもこのような言葉が聞かれる背景には、「オーバーツーリズム」の弊害があまりにも目に余るからでしょう。
学校のクラスに置き換えてみる
ここで、「オーバーツーリズム」といわれる現象を「学校のクラス」に置き換えてみました。
例えば、クラスに一人の魅力的な女の子(あるいは男の子)がいたとします(=観光地)。
その子があまりに魅力的なので、そのクラスの多くの子たちはその子に夢中で勉強が手に付きません。ついには他のクラスの子たちまで覗きに来る始末です(=観光客)。
困ったことに、その子に興味のない子たちも周りが騒がしくて勉強に身が入らないと苦情を訴えています(=一般住民)。
授業を円滑に進めたい先生も、まともな授業が出来ずに困っています(=行政・地区・交通機関等)。
かなりオーバーに例えてみましたが、概ねこのような状況に似ているのではないでしょうか?
では、この状況を作り出したのは「誰のせい」なのでしょうか?
魅力的な女の子(あるいは男の子)ですか? その子が他の子よりも魅力的なのはその子のせいじゃないですよね。
その子に夢中になっている多くの子たちですか? 魅力的な子がいたら、その子のことばかり考えてしまうのは人間の本性ですので責められないですよね。
クラスの先生も授業を円滑に進めるために色々と工夫をされていますが、一極集中の人気を変えることは困難です。ましてや、その子に興味のない子たちにとっては何ら関係のない話です。
そこで、この「誰のせい」でもない状況を変える唯一の方法を考えてみました。
それは、他のクラスも含めて、もっともっと魅力のある子を増やして一極集中の人気を「分散」させることです。
自分は魅力が無いと思い込んでいるその他の子も、実は隠れた魅力が眠っているかもしれません。
「隣接する観光地」が鍵
ここまでのお話で概ね察しはついておられると思いますが、私が考える「オーバーツーリズム」は、決して人気の観光地のせいではなく、ましてや大挙して押し寄せる外国人観光客のせいでもありません。(人気に惹きつけられるのは当然のことです)
誰のせいでもないこの問題の解決方法としては、「人気の観光地」に「隣接する観光地」が鍵を握っているのではないかと思うのです。
この「隣接する観光地」が、自ら「魅力がない」と思い込んでいる。あるいは魅力に気付いていても対外的にアピールができていないことを第一に改善すべきではないでしょうか?
昔から日本人は自己主張や自己表現が不得意だと言われてきました。
ある意味「奥ゆかしい」ともいえますが、せっかくの魅力を知られていないことは実にもったいない話です。
日本の人口推計予測によると、生産年齢人口といわれる15歳から64歳までの人口は、今後30年で2000万人も減少すると言われています。
過疎化が進み、観光客もまばらで地域経済は疲弊し、公共交通機関等の社会的インフラも次々と縮小撤退していく中、それでもこのままで良いと思っている人はいないのではないでしょうか。
この記事では、あえて特定の地名は示していませんが、日本のいたるところで心当たりのある地域の方がおられることと思います。
さまざまな人流の抑制施策によって溢れた観光客が、国内の他の場所へ向かってくれれば良いのですが、訪問する国そのものを日本以外の国に変えられては元も子もありません。
私が心から願うことは、その土地に魅力を感じて遥々来ていただいた観光客の人達を間違っても「公害」とは呼ばないでほしいということです。
そして、その周辺地域の方たちは、もっともっと自身の地域の魅力に気付いて磨きをかけ、誇りを持って対外的にアピールしてほしいと思っています。
人の流れは一気には変わりませんが、数多くの「支流」が生まれることによって、その流れは次第に緩やかとなり、日本の隅々まで潤いをもたらすことになるに違いありません。
人流の「抑制」よりも、「分散」させるための工夫に知恵を絞らなければ、この問題はいつまでたっても解決しないでしょう。
寄稿者 二宮謙児(にのみや・けんじ)㈲山城屋代表 / (一社)インバウンド全国推進協議会会長