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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑬ 自然と信仰が息づく出羽三山

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松尾芭蕉も訪れた修験道の聖地「出羽三山」

 山形県の出羽三山を巡る旅は、江戸時代に庶民の間で『生まれかわりの旅』として広がり、日本古来の修験道の精神を今に伝えていることから、その物語が「自然と信仰が息づく『生まれかわりの旅』」として日本遺産に認定されました。

 出羽三山は今から約1400年前、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子(はちのこのおうじ)が鶴岡市由良の八乙女(やおとめ)海岸に上陸し、神の使いである八咫烏(やたがらす)に案内されて羽黒山を開いたのが始まりとされていますが、出羽三山は独立した3つの山ではなく、月山を主峰として峰続きの北の端に羽黒山、西方に湯殿山が連なる日本有数の修験道の聖地です。

 平成の芭蕉を自称する私は、2021年の丑年、芭蕉も訪ねた『奥の細道』のルートで、清川から「いのりの道」を経由し、羽黒山、月山、湯殿山の順に巡りました。出羽三山では、それぞれの開山の年を御縁年(羽黒山/午・月山/兎・湯殿山/丑)としていますが、最後に開かれた湯殿山が丑年の開山であったことから、開山成就の丑年が「山の御縁年」とされ、丑年にお参りをすれば12回お参りをしたのと同じご利益があると言われています。

出羽三山の主峰「月山」
出羽三山の主峰「月山」

「現世の世を表す山」羽黒山の石段と杉並木

 最初に訪れた羽黒山は、出羽三山の中でも最も低い山で、蜂子皇子が現在の世を生きる人々を救う聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)を祀ったことから、「現在の世を表す山」と言われています。

 入り口の随神門から山頂までの約2kmの参道は、日本屈指の段数を誇る2446段の石段と両側に立つ樹齢300~500年の杉並木が続き、修験者になった気分が味わえます。参道の途中、開山当時から参詣者を見守り続ける樹齢1000年を超える爺(じじ)スギを見学し、神々しい雰囲気と静寂な空気に包まれる中、歩を進めるとやがて素木(しらき)造りの国宝五重塔が現れます。

 そして羽黒山山頂にある三神合祭殿(さんじんごうさいでん)は、厚い茅葺屋根で覆われており、羽黒山の祭神に加えて冬期には参拝できない月山と湯殿山の祭神を合祀しています。参詣者はここで、諸願成就などの現在での願いを託すとともに『生まれかわりの旅』の成就を願った後、月山そして湯殿山へと旅を続けます。

羽黒山の爺スギと国宝五重塔
羽黒山の爺スギと国宝五重塔

「過去の世を表す山」月山の弥陀ヶ原湿原

 磐梯朝日国立公園の特別区域にも指定されている月山は、珍しい半円形のアスピーデ型火山で、「祖霊が鎮まる山」として崇められ、「過去の世を表す山」と言われています。車で月山八合目まで上ると、極楽浄土を意味する弥陀ヶ原(みだがはら)と呼ばれる湿原があり、夏には高山植物が咲き乱れる中を散策することができます。

 私は湿原の中にある中之宮の御田原神社に参拝した後、険しい岩場を超えて山頂「おむろ」の月山本宮月山神社にもお参りしましたが、この月山神社には夜を司る月読命(つくよみのみこと)が祀られています。

「未来の世を表す山」湯殿山の神秘に息づく行場

 湯殿山は、山頂からお湯の湧き出る赤い巨岩の御神体に新しい命を産み出す女性の神秘を重ね、万物を産み出す山の神とされる大山祗命(おおやまつみのみこと)が祭神として祀られたことから、「未来の世を表す山」と言われています。そしてむき出しの岩肌や大小の滝など大自然を感じさせるこの山は、山伏が滝行などの「荒行」を行う行場(ぎょうば)でもありました。

 梵字川のほとりには御滝神社をはじめとする神社が鎮座しており、多くの行者が即身仏になろうとこの地を選び、想像を絶する苦行を続け、自らの穢れを払い、他人の苦しみを代わって受けようとしました。

 湯殿山では、その苦しい修行は産みの苦しみを表すとされ、自然への畏怖と圧倒的な生命力を強く感じることにより、人はこの山に生まれかわりを祈るのです。私たち参詣者は、この大自然の中で裸足になって御神体に触れ、掌(てのひら)と足の裏に伝わる地熱の温かさを大地のエネルギーとして体感することができます。

 湯殿山は、古来、「総奥の院」(最も大切な場所)とされ、「語る無かれ」「聞く無かれ」と戒められた清浄神秘の世界にあり、芭蕉も『奥の細道』の中で、修行者の法式として他言する事を禁じているので「語られぬ湯殿に濡らす袂かな」と詠んでいます。

湯殿山神社本宮
湯殿山神社本宮

縄文人と山岳信仰

 縄文時代の遺跡を調べると、日本においては古くから万物に神の存在を認め、山や巨岩、木や動物などを神そのものとする考えや、山が神の住処であるとする山岳信仰の考えがあったようです。また人間は神の宿る山から魂を授かり、この世に生を受けて、死後その山へおもむき、神として鎮まるとも考えられていました。

 そのため月山のような高くて形のよい山は、豊かさの源であり、魂の静まる地であると同時に、神聖な場所として敬われていたと推察できます。出羽三山は今日でも日本屈指の霊場ですが、私は縄文人にとっても信仰を集める聖地であったと思います。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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