ふるさとの景色を画にする
地域側で街づくりを考える。東京を中心とした都会からの送客ビジネスが主流だった2000年はじめ頃に、この考え方に変化が現れ始めた。「受ける」より自らが「吸い込む」という考え方だ。同時にインターネットをはじめ、携帯もガラケーから次第にスマホへと移行していった。
こうした変化は「写真」というものに対する見方や考え方にも否応なく変化を求めることとなった。そして、フィルムカメラからデジタル一眼レフへと主役も交代した。大きな括りで20年間のこうした変化は一時期「着地型」として地域側での集客ビジネスが進み始めていたが、SNSの登場もあって交流形態が変化することで「情報素材」としての写真の有り様が問われることとなっていった。
今や「誰でもどこでも」カメラマンの時代。最新式のスマートフォンなどは一眼レフカメラをも凌ぐ。これは、我々のようなプロの写真家やカメラマンが「振るい」にかけられたようなものだ。そして、商売としても成立が難しくなってきている。つまり、写真が上手いだけではメシが食えない。
写真は、街づくりのため
私は若いときから写真業界に身を置き専門的に写真を学んで来て今日があるわけではない。「地域興し」という地元大洲市の動きと地域の流れに押されて「街づくり=活性化」という仕事に就いたことが、そもそものきっかけとなった。2000年はじめ頃の「愛媛県大洲市」は飛ぶ鳥を落とす勢いだった隣町の「内子町」に追いつくことが目標だった。そのため、そこで活用したのは、私が撮影する故郷を感じる写真だった。そして、これをSNSを通して発信していくということだった。
今、大変多くの皆さんとSNSを通してつながり、日々の交流が続いている。私は現職時代に現在の大洲市の観光基盤を創ったものの一人だ。当時から心がけていることがある。それは「情報発信は人に頼まない」ということだ。そのための素材として活用する写真も「他の方々が撮影した写真は使わない」。つまり、こころを込めて撮影した写真を生かして地域情報を自ら発信していくと言うことにこだわっている。
懐かしい風景に感謝のメッセージをいただき、時にはどうしても帰りたくなったと海外から帰国される地域の方々もいらっしゃる。仕事で必要性を感じて撮影し始めたことが、現職を退任した後にプロ写真家として活動ができるようになったのは、こうした多くのファンの皆様方のお力添えがあってのこと。
これからも続く、「写真は語る」
お陰様で今も色々なところから業務撮影のご依頼をいただく。そして、私の場合はSNSを通してクライアント様の情報発信がセットになる。今時のカメラは綺麗には撮れる。しかし、感じる写真を撮影するには、被写体を学び研究し、いったい私の写真が何を求められているのかを考え、それをカメラ自身の設定に反映し仕上がりから逆算して撮影することが当たり前でなければならない。
故川本征紀師匠がよく言っていた「写真は語る」が少し理解できはじめた昨今。今月末で古希を迎えるが、これに相応しい撮影ができれば良いがと思い描く暑い夏だ。
(つづく)
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14
寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員
素晴らしい景色!!心が癒されます☺️ この景色をいつまでも残せる様に みんなで守りましょうね。😊
横田さま ありがとうございます。コンごともどうぞよろしくお願いいたします。