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東京再発見 第39章 緑豊かな古刹がいざなうところ~豊島区雑司が谷・鬼子母神堂~

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 都電沿線の中でも由緒の古い雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)、古民家を改装した店舗や小洒落た住宅が建ち並び、木漏れ日の影が、閑静な住宅街に注ぐ。

 ここ雑司ヶ谷の鬼子母神堂は、南池袋にある日蓮宗の寺院、威光山法名寺の飛び地境内地に立つお堂だ。鬼子母神は安産・子育ての神であるとともに、法華経の守護神として日蓮宗寺院で祀られる。そして、現在の雑司ヶ谷鬼子母神堂は1664年に広島藩主浅野光晟の正室・自昌院が寄進したものだ。

参道には、さまざまなお店が建ち並んでいる
参道には、さまざまなお店が建ち並んでいる

江戸の庶民の憩いの場所

 その後、江戸の町は、郊外に広がっていく。そして、武士から庶民まで信仰を集めて大いに興隆した。江戸中期以降、民衆の生活は安定していった。そのために、物見遊山を兼ねた参詣が増えたことが背景にある。門前には茶屋や料亭も建ち並んだ。

 周辺は、緑豊かで荘厳だ。特に、秋になると樹齢400年を誇る参道沿いのケヤキ並木の紅葉が、都会の喧騒を忘れさせてくれる。ケヤキ並木の紅葉の見頃は、例年11月中旬頃だ。また、境内には、推定樹齢700年という銀杏の巨木も立ち、その姿は威厳を感じる。

 一方、境内には江戸時代から店を構える名物の駄菓子屋「上川口屋」もある。ここの「飴」は江戸時代の名物のひとつである。1781年創業、駄菓子屋としては都内最古と言われている。

時代を奏でる境内の中の駄菓子屋さん
時代を奏でる境内の中の駄菓子屋さん

角のない鬼

 さて、お堂の扁額を見ると不思議なことがある。それは、鬼子母神堂の「鬼」の字が、1画目の「ツノ」のない文字を用いることだ。

 その理由は、鬼子母神はインドで訶梨帝母と呼ばれた。王舎城の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産んだ。しかし、その性質は暴虐だった。近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれていた。

 お釈迦様は、その過ちから訶梨帝母を救うことを考え、その末の子を隠した。その時の嘆き悲しむ様は限りなかった。

 そして、お釈迦様は「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めたという。

 彼女は、はじめて今までの過ちを悟った。そして、お釈迦様に帰依し、安産・子育の神となることを誓った。その結果、人々に尊崇されるようになったとされる。

 鬼子母神は、このように、鬼ではないため「ツノ」は書かれないのである。

「ツノ」のない扁額
「ツノ」のない扁額

谷と丘の連続、坂の景色が素晴らしい

 東京の町は、谷と丘の連続だと何度となく触れてきた。都電沿線もその影響を受ける。現在、線路を新たに移設しているこの地域は、まるでジェットコースターのようだ。かつては、線路の下を道路が通っていた場所もあった。小さな木造住宅が密集する地域も大規模な再開発の波に飲まれている。また、明治通りの改修工事も街の姿を変えている。緑豊かな場所も無機質なビル群と化していく。

地代を感じる古き建物も素敵な佇まい
地代を感じる古き建物も素敵な佇まい

 坂の上から、遠目に見る摩天楼は素晴らしい景観だ。しかし、その真下になると、ビル風が吹き、緑の匂いも消え失せる。それ故、古き良き時代の景色は、記憶からなくなる前に、しっかりと目に焼き付けておかねばならない。このように感じたある日の旬感であった。

(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

欅並木の石畳の参道
欅並木の石畳の参道
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