向島百花園(むこうじまひゃっかえん)は、江戸時代の発祥といわれる花園である。その中でも、早春の梅と秋の萩が有名だ。また、隅田川七福神の発祥の地であり、「福禄寿」が祀られている。
開園は、江戸時代後期1804年頃と言われている。そして、亀戸の梅屋敷を真似て造園された。そのため、花屋敷と呼ばれていた。
消失の危機を乗り越えたのは、地域住民の力
1934年、当時の所有者であった小倉常吉が没する。その際、東京市に寄贈された。そして、1939年に公営の公園として再出発することとなった。しかし、1945年3月の東京大空襲により全焼する。往時の建物も焼失した。残念ながら、イチョウとタブを除いて植物も死滅し、継続が困難となった。跡地を野球場として活用すべきという意見も出たという。
このような中、1947年の秋、地元有志により「月見の会」が開催され、園地の活用が行われた。また、1949年に、「萩のトンネル」が寄贈され、復旧開園が果たされる。
この萩のトンネルは全長30mほど。そして、開花期には葉の緑と花の赤紫とのコントラストが格別美しさを見せる。例年、彼岸のころが見ごろだ。また、つる物棚にはヒョウタンやヘチマ、ヘビウリなどが絡みつく。こちらも、例年7月頃に開花し、夏に結実して盛りを迎える。
さて、庭園は、池泉回遊式。秋口になるとすすきの咲くあたりは、都内であることを忘れさせてくれる。また、水面に映るスカイツリーは、多くの花々にも負けない姿であり、近隣住民の憩いの場にもなっている。
年中行事として、「春の七草展示」「虫ききの会」「お月見の会」などが行われる。このように、江戸風情を感じる風流なものが多く、江戸の庶民文化を今に伝えている。
緑豊かな町づくり
隅田川を渡った墨東は、昨今のビルの建設ラッシュによって狭くなった空も、まだまだ広々としている。東京は、緑が少ないと思われる観光客は、少なくない。しかし、思った以上に緑豊かだ。これは、84か所ある都営公園が寄与している。
そう考えると、「緑を感じる」「緑で憩う」という観光コンテンツ作りこそ、未来につながるものだと感じ入ってしまう場所である。
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長