東急電鉄池上駅を降りると、本門寺への参道につながっている。ここ池上の地は、池上本門寺参詣客の輸送を目的に、1922年、池上電気鉄道が運行を開始した。開業当初の蒲田から池上間は、現在の東急電鉄最古の路線である。
日蓮上人の終焉の地
1282年9月、日蓮上人は身延山久遠寺から湯治のために常陸に当時に向かう。その途上、この地の豪族、池上宗仲の館に逗留する。しかし、その後10月13日に入滅する。そのため、日蓮宗にとって、池上本門寺は日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされる大本山である。毎年10月11日から13日までの間、「お会式法要」が行われ、入滅前日の12日には、夜を徹して30万人もの参詣者で賑わいを見せる。池上氏は、この地に館を構えた鎌倉時代の武士であり、早くから日蓮宗に帰依していた。
武士の館は地形をうまく活用し、防御にも最適な造りとなっていた。そのため、総門を抜けると大きな丘を登らねばならない。石造り96段の此経難持坂だ。また、山号である長栄山とは、「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮上人が名付けたものだ。
そして、池上宗仲が、日蓮上人の入滅後、法華経の字数(69,384)に合わせて約7万坪の寺域を寄進し、寺の礎が築かれた。それ故、城郭のような造りになっているのだ。
日々の生活に密着した参道は・・・
1976年、西島三重子さんが歌う『池上線』という曲がヒットする。池上線の名前が全国に広がった。しかし、古いイメージを彷彿する歌詞から想像できないほどの駅ビルが、今では完成している。改札を抜けエスカレーターを降りると、本門寺通りと名付けられた参道が見えてくる。
そこには、昭和の風情を残した「池上本門寺通り商店街」が残る。今でも40軒ほどの商店が建ち並んでいる。門前故、名物の葛餅屋などの飲食店や土産物屋が建つ。そして、地域密着の商店街は、日常生活に密着した洋品店、文具店も少なくない。また、参拝者への利便性なのか、花屋さんがたくさん軒を連ねているのも特徴と言える。
ほどなく、総門に到着する。息を切らせて登りきると、仁王門や大堂と続く。五重塔はその右手である。境内は思ったより広い。そして、大堂の先には本殿や松濤園、御廟が建ち並ぶ。また、途中の大坊坂を下ると、数多くの塔頭が存在する。その中には池上氏の館跡を寄進した本行寺もある。
再び、山を下りる・・・国道1号線に向けて
鉄道の高架線が見えてくると、そこは池上梅園だ。大田区所有の公園は、区の花である梅の花の植林・整備し、現在は370本(白梅150、紅梅220)の梅の木が植わっている。そして、その高架線は、都営地下鉄浅草線の西馬込駅につながる。また、駅の手前には、車両基地も大きく広がっている。地下鉄は、この場所で終点を迎える。一説には、都営故に都県境を越えられないとか、既存私鉄の沿線と競合を避けるためとか言われている。
日蓮宗は、徳川家との関わり合いも強い。また、この池上の地は、江戸城の裏鬼門に当たる。それ故、幕府は本門寺を庇護してきた歴史があるのだ。一方、東京にも数多くの古社古刹は存在する。しかし、京都や奈良と違って、観光寺院はほとんどない。神社仏閣は参拝する場所として敬われてきたのだ。
だから、少し目線を変えてみると、東京の観光は、もっとすそ野が広がると思う。その理由は、「歴史」を巡る旅が観光の原点であり、少数派ではあるが、人気の高いコンテンツであるからだ。そして、メジャーな観光コンテンツにだけに焦点を当てるのではなく、先人が残してきたモノ・コトをしっかりと後世につなぐことこそ、今を生きる者の使命ではないだろうか。
東京の観光振興、「東京再発見・・・脇役探しの旅」は、まだまだ終焉を迎えることはない。
古刹の夕暮れの姿を・・・
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長