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ボーダーツーリズム(国境観光) 第19章 対馬・越前・越中

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 私は、2013年の文化勲章受章者であり、元号「令和」の考案者としても知られる国文学者中西進さんを主宰とする会の事務局長をしています。この会は、混迷を深める21世紀をどのように生きて行くかを歴史から学び、語り合う会で、全国に180名近い会員がいます。私は、ボーダーツーリズム(国境観光)をテーマとして活動していますが、古代史から学び、時代を比較する旅も大変興味深いと思っています。

刀伊の入寇

 話は、NHK大河ドラマから始めます。大河ドラマが、歴史を学ぶきっかけとなる方も多いと思います。私もその一人で、ドラマの内容をそのまま史実として鵜呑みにすることはなくても、興味を引かれて調べてみたことは一度や二度ではありません。

 最近では、2024年の紫式部の生涯を描いた「光る君」46話で描かれた「刀伊の入寇」です。ドラマの中で紫式部が博多まで出かけ、この事件に遭遇したことはフィクションだとしても、道長に遠ざけられ大宰府の長官となっていた藤原隆家が活躍して刀伊を追い払ったことは事実で、武力の重要さを世に示し貴族の時代から武家の時代への契機となった事件として描かれていました。

 刀伊とは、朝鮮半島東北部に居住していた東女真族と言われています。

「光る君」で知る日本の版図

 記憶は曖昧なのですが「対馬の向こうまで追っ払ってやりました」と藤原隆家に報告した武者のセリフにも興味を引かれました。紫式部の時代、つまり10世紀から11世紀の時代も対馬までが日本だったのです。

 早速読んだ関幸彦著「刀伊の入寇」には「王朝貴族たちの異国・異域観が、刀伊との戦いで鮮明化された点も興味深い」とあり、藤原隆家の発言として「追撃は対馬・壱岐に至るところまでとして、日本の領域に限り襲撃するように、新羅との境に入ってはならない」と戒めたとあります。

 7世紀の白村江の戦いで唐・新羅軍に大敗した以降、日本は対馬に防人を置きました。400年近く経った紫式部の時代でも対馬は防衛最前線であり、刀伊の来襲での対馬の人的被害は殺害18人、捕虜116人と記録されています。そして、13世紀の蒙古襲来(元寇)でも対馬は防衛最前線になるのです。

 さらに、同著には王朝貴族が共有する日本の版図として、北は陸奥国の外ヶ浜(青森県の津軽海峡と陸奥湾に面した地域)、南は鬼界ヶ島(鹿児島県の南西海上の島)、そして、西の境が対馬・壱岐だとあります。「光る君」の時代の境(ボーダー)もわかりました。

 ボーダーツーリズム推進協議会と連携しているNPO法人国境地域研究センターの今年のセミナーは10月に対馬で開催され、ボーダーツアーとして釜山に渡ります。

 刀伊の入寇を勉強するチャンスでもあり楽しみにしています。

対馬海流の速さ

対馬北部にある比田勝港の国際ターミナル
対馬北部にある比田勝港の国際ターミナル

 時代は下り、鎖国政策をとっていた江戸時代、対馬藩は朝鮮通信使を迎えたり、朝鮮との外交交渉や貿易の窓口として重要な役割を担っていました。対馬から釜山までは約50キロメートル。

 江戸時代、対馬に向かう使節団、朝鮮通信使の船が釜山港を出港する姿が見えたそうです。そして、その船の舳先は対馬ではなく大きく西に向け、驚くほど速い対馬海流に流されるように方向を変え、対馬に到着したと伝えられています。古代から境(ボーダー)が横たわる対馬海峡を挟んだ朝鮮半島との波乱に満ちた歴史は真に興味深いです。

能登半島にぶつかる海流

 対馬海流は、日本列島の沿岸を北に向かって流れ、シベリアの沿岸まで流れていきます。その流れの中で、防波堤のように横たわっているのが能登半島です。朝鮮半島や中国大陸の港から出港した船が、対馬海流に流されて能登半島にたどり着いたことは容易に想像できます。石川県小松市に住む知人は「こまつ」は「高麗津」だと教えてくれました。高麗(高句麗)の津(港)です。

 「光る君」では、紫式部の父が越前守として越前国主として派遣され、日本との交流を求める北宗の人々との交渉役として奔走していた物語が描かれていました。

 越前国の国府は今の福井県越前市と推定され、「光る君」の放映をきっかけに発掘作業が進んでいるそうです。当時の朝鮮半島や中国との交流窓口あった越前国の国府は、紫式部が父親と暮らしたゆかりの地でもあり、国府跡だけでなく異国・異域との交流を示す出土品があれば、当地の観光資源として越前市周辺の観光活性化にも役立つことでしょう。

今年は、越中へ

氷見市速川地区にある令和の鐘と中西進氏揮毫の碑
氷見市速川地区にある令和の鐘と中西進氏揮毫の碑

 冒頭に記した中西進さんを主宰とする会では毎年会員が集まり、先生同行でツアーも行っています。

 今年は10月に富山市に集合して、氷見市と石川県宝達志水町を結ぶ「臼が峰往来」を旅します。臼が峰往来は古代から越中と能登を結ぶ幹線道路で、万葉集の時代から江戸時代までたくさんの物語が残り、文化庁の「歴史の道百選」に選ばれています。

 私は、2年前にもその道を旅しました。標高は低いですが険しい山道でした。その峠は、異国・異域との交流の出入り口だった越前と高岡に国府があった越中を往来する国境(くにざかい)。再訪が楽しみです。

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=17

寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長

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