私は医療、離島医療の専門家ではありませんが、日本国内の国境・境界地域に位置する島々の皆さんとの対話、現地調査で知りえた離島医療の現状や課題について2回にわたって書かせていただきたいと思います。
コロナウイルスパンデミック(コロナ禍)の振り返り
離島医療、その課題について私が強く認識したのはやはりコロナ禍でした。改めて思い起こすと、世界的な感染は2019年12月末から始まり、日本での最初の感染者確認は2020年1月15日でした。東京オリンピックが延期となる等、世界の交流が止まったことは記憶に新しいかと思います。
2023年3月10日にデータ更新を終了したアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の最終集計を見ると世界の累計感染者数は6億7,600万人、累計死者数は680万人。その内、日本は累計感染者数3,322万人、累計死者数は7万3,000人。真に100年に1度あるかないかのパンデミックでした。
5類感染症に移行したとは言え、今でも感染は続いており、実際私が初めて感染したのは2024年7月でした。
国際観光者数を最も的確に示す数字のひとつと言われている国際線の輸送実績(RPK)が前年比34%まで落ち込んだ2020年末、その数字を発表するIATA(International Air Transport Association)が「世界の航空需要の回復は2024年、パリオリンピックまで待たなくてはならないだろう」と予測しました。当時、楽観的だ、悲観的だ、と議論が巻き起こり、日本の観光業界も激しく動揺しました。結果、IATAのほぼ予測通りになったわけです。
*RPK=Revenue Passenger Kilometers(有償旅客数×輸送距離)
その時国境離島・対馬で起こっていたこと
私は2020年11月に現状調査のために対馬市を訪れました。当時の対馬市でのコロナ感染状況を振り返ると、感染者1例目の確認は日本で最初の感染確認日から184日後となる7月30日。9例目の確認が8月28 日、10例目は2021年1月13日。つまり対馬市では第1回目の緊急事態宣言期間中(2020年4月7日から同年5月25日)に感染確認はなく、私が訪れたのは感染者確認9例目から10例目までの138日間にも及ぶ感染者未確認時期だったのです。
毎日ように感染者が報告される首都圏等大都市圏とは全く異なる状況が対馬では続いていたのです。私との面会に応じてくれた対馬市の市長は「出張から帰るとばい菌のように言われた」と苦笑いしていたことを思い出します。
2020年4月の段階で対馬市は市民に対して「密閉」「密集」「密接」という「3つの密」の回避、不要不急の外出と感染が拡大している都府県への往来の自粛 、家族等の対馬市への帰省の自粛と、帰省された場合には、自宅等で外出の自粛を求めました。第1回目の緊急事態宣言が全国に拡大されると、YouTube も使用して全国から対馬への来島・帰省自粛を「お願い」したのです。
感染者未確認の段階で、経済・行政等あらゆる分野において交流が多く、生活圏でもある福岡市始め都市部との交流自粛は対馬市にとって大きな決断でした。交流よりも市民の安全を守りたいという市長の決断が対馬での感染拡大を防げたと今でも思っています。
対馬市でのコロナ禍対応の振り返り
対馬市で第二種感染症の病床を持つ病院は1つ、病床数は 4床のみでした。高齢者も多く、重症化やクラスターの連続発生は医療崩壊につながります。病床が不足した場合は長崎市まで患者を輸送する想定でしたが「長崎市も感染者・重症者が多く、現実的には受け入れは不可能だったろう」と対馬市担当者は述懐していました。幸いに病床が不足する事態は発生しませんでしたが、コロナ禍は離島自治体の医療体制の脆弱さを露呈しました。地域経済の維持と感染症拡大防止策を並行して実行する難しさには、離島以外の自治体とは異なる難しさがあったのです。
対馬市はいわゆる「バブル」の中に自らを置いて感染防止・感染拡大防止を目指しましたが、結果的には「バブル」は破れ、7月30日に判明した対馬市での最初の感染者は県外に滞在した病院職員でした。当時、トラベル・バブル、オリンピック・バブルなどの試みがありましたが、「バブル」は破れることを前提とした対策が必要であることを対馬の例は示してもいました。
コロナ禍の対馬市観光への影響
さて、対馬観光は韓国人観光客が多いことで知られています。対馬海峡を挟んだ約50km先に韓国釜山があり、もっとも数が多かった2018年には年間41万人を超える韓国人観光客が対馬を訪れました。つまり、2018年の訪日韓国人旅行者総数約753万人の5%強は対馬を訪れていたことになります。人口約3万人、日本人旅行者約3万人の対馬市へ41万人の外国人が訪れたことになり、オーバーツーリズム現象も多々ありました。
その状況に変化が訪れたのは2019 年でした。日韓関係の悪化です。元徴用工問題、韓国向け半導体などの材料 3品目の輸出規制の厳格化、輸出先として信頼できるホワイト国からの除外は韓国政府による対抗措置にとどまらず、民間でも日本製品や日本への旅行のボイコットが行なわれました。韓国釜山から対馬への観光客は一気に激減。2019年の対馬への韓国人旅行者は14万人減り26万人になっていました。日本人旅行者を増やす取組み等の成果もあり回復の兆しが見えましたが、その矢先にコロナ禍が発生したのです。
詳細は書きませんが、2020年3 月初旬には釜山・対馬間を運航していた5社の高速船会社が全て撤退し、2020年の実績は1万名強で終了。運航再開は2023年2月まで待たなくてはなりませんでした。
脱コロナ禍時代における対馬観光の取組み
コロナ禍で韓国人旅行者が0となった対馬観光ですが、観光復活のテーマは「韓国人観光客依存からの脱却」。PlayStation4用ゲーム「Ghost of Tsushima」が世界的に大ヒットしたこともあり世界的に対馬の知名度が向上しています。対馬市は日本人旅行者向けの「長崎しま旅」、国内線・国際線のチャーター便の誘致に力を入れ始め、韓国人観光客だけでなく旅慣れた日本人観光客、台湾、英語圏などの観光客にも対応できる「おもてなし」の再構築を目的として「おもてなし協議会」(市長がトップ)を立ち上げています。
韓国人にとって安く、短期間で行ける海外旅行として対馬の人気は依然として高いようですが、対馬市としてはコロナが収束しても韓国人旅行者を年間20万人程度と想定し、「韓国人観光客依存からの脱却」を目指しています。
対馬市はボーダーツーリズムの拠点の1つであり、オーバーツーリズム問題、訪日出発国の1極化リスクなど全国的な課題にいち早く直面していたのです。そして、対馬市で第二種感染症の病床を持つ病院は今でも1つ、病床数は4床のままです。
新たなパンデミックへの対応は?コロナ禍での経験が活かせるのか?
対馬市だけの問題ではありませんね。
(つづく)

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=17
寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長