釜山の地下鉄1号線の土城駅からシャトルバスに乗り、“釜山のマチュピチュ”を目指す。歩くのにはきつい傾斜の登り坂をバスが進むに連れ、前方の丘に色とりどりの家屋がびっしりと建っている。モザイク模様を見ているようだ。これが“釜山のマチュピチュ”と言われる甘川文化村だ。同行の韓国人は「マチュピチュとは、ちょっと大げさかな」と苦笑した。マチュピチュは南米ペルーのアンデス山脈にあるインカ帝国の遺跡で、石造りの建物が約200戸残っている。
朝鮮戦争の戦火を逃れた人々が斜面に家を建てた
ここで釜山の歴史について記そう。釜山は朝鮮半島南端に位置していることから、1950年に戦火が切られた朝鮮戦争によって半島北部から避難してきた住民たちが斜面に家を建てた。土地が少なかったから、斜面の上の方、上の方へと家を建てざるを得なかったそうだ。

この地区、甘川洞は貧しい地域だった。2009年に「マチュピチュプロジェクト」という公共アートプロジェクトが立ち上がった。地区全体を美術館と見立てたところ注目を浴び、甘川文化村としてにぎわっている。同市の国際市場も、朝鮮戦争で出回った米軍放出物資を扱ったのが始まりだ。1000軒以上の店が衣料品や日用雑貨などを売っている
映えスポットが点在し、撮影は順番待ちでハイ、ポーズ
甘川文化村入口でシャトルバスを降り、坂道を進む。道沿いに土産物店や民族衣装、韓服の貸し衣装店、カフェなどが立ち並ぶ。15分ほど汗をふきふき歩くとハヌルマル(展望台)に到着。ここから釜山港と甘川港が一望できる写真スポットであり、観光客が順番に写真をとっている。

道沿いに、市の公共美術プロジェクトに関連して、数多くのアート作品やオブジェがあり、ここでも撮影のための行列ができていた。ここに暮らすアーティストによる絵画や工芸、繊維美術などの体験プログラムも試してみてはどうだろう。スタンプラリーも行われており、スタンプ帳の売上と村営企業での収益は住民サービスにあてられる。
この地域には、現在も住民が9000人近く暮らしており、彼らの生活を脅かさないような配慮も必要だ。メーンストリートに接し、細い路地があるが、そこから先は暮らしのエリアであり、立ち入りはご法度。
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