その電車は1942年に生まれ、651号と名付けられました。
戦時下の広島に登場した651号は当時最新のスタイルゆえ、乗客のみならず広島電鉄家政女学院※の女学生にもモテモテ(笑)で、彼女たちにデートの(=651号に乗務する)順番はなかなか回ってこなかったそうです。
※戦時下で男性が徴兵されてしまったため、広島電鉄が乗務員を育てるために作った学校。彼女たちが電車を運転していました。
そんな651号も女学生たちも戦時下の青春を過ごしていた8月のある朝、悲劇は唐突に訪れたのです。
…1945年8月6日、原爆投下…
悲劇の詳細解説は他の文献に譲りますが、651号とその仲間たち(電車も、乗務員も)は、一瞬にして核兵器の炎に焼かれてしまったのです。
しかし、651号もその仲間たちもくじけませんでした。
壊れた線路や架線、車両を直し、なんと被爆3日後には一部区間で運転を再開したのです!
…それから80年目の今夏、戦前から存在していた広島駅前の停留所(Wikipediaが間違った表現を流布してしまいましたが、路面電車のホームは駅ではなくバスみたいに停留所と呼ぶのが正解です)が、地上の線路から高架線に切り替えられました。
筆者は切り替え前の定期最終電車に乗って来ましたが、なんと翌朝の始発一番電車には被爆電車こと651号が使われたのです!
被爆から80年の時を経て、黒コゲの写真と全く同じ651号電車が、新しい広島駅2階から走り出す……知らない人から見たらただの電車でしょうが、その数奇な運命に想いを馳せた朝でした。
