この句は、夏の盛り、半夏生の頃に感じた暑さと、繰り返し水を打つ日常の光景から生まれました。水を撒いても、日差しは容赦なく地面はたちまち乾いてしまう。そこでまた水を打つ。そんな繰り返しを静かな諦観をもち受け止めています。「また水打てり」で、人の手によるささやかな抵抗と、その行為をちょっとだけ楽しんでいるさまが浮かびます。半夏生という言葉には、梅雨の終わりと本格的な夏の到来を告げる響きを感じます。夏という大きな時間の中の一瞬をすくい取るような気持ちで詠みました。
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