国鉄時代の筑豊「鉄道路線図」は、蜘蛛の巣が縦横に張り巡らされていた。かつて、黒いダイヤモンドを近隣の港に運び出すために、この地域は鉄道が敷設された。そのため、人を運ぶよりも貨物列車を停車させる長大な駅のホームが存在した。しかし、1987年に国鉄がJRに移管すると、採算性の悪い路線の多くが廃止された。また、廃止を免れても第3セクターに経営が移された。
さて、平成筑豊鉄道は、1989年4月に旧国鉄の伊田線・糸田線・田川線の経営を引き継ぎ営業を開始した。また、2009年には、門司港から和布刈までの観光路線も運行するようになった。社名決定する日が、昭和天皇の崩御日と重なったため、急遽「平成筑豊鉄道」と決定したと社史に記されている。
旧国鉄伊田線はローカル線であるが、直方駅から田川伊田駅までの全線が複線である。これは、往時の石炭輸送量の巨大さを物語っている。そして、ここ金田駅は、路線の中心部、同社の本社が置かれている。
2017年には、一般公募の社長が就任される。そして、2018年からは観光列車も運行している。まくらぎオーナー制度(2003年)や副駅名ネーミングライツ(2009年)など、さまざまな取り組みが実施されている。一方、金田駅構内では、動態保存された車両の運転体験も可能だ。
経営の効率化、鉄道路線の岐路
鉄道ファンにとっては、とても楽しみなローカル私鉄である。しかし、ローカル鉄道は、その在り方が議論される時代となった。鉄道から車への依存度は、地方に行けば行くほど高まっている。
鉄道は、線路の保線や新規路線の敷設に関わる人的・金銭的な支出が大きい。一方、車は道路建設の時間的な制約や金銭的な支出が、鉄道の比にならない。そのため、国土交通省も道路建設や自動車優遇に動いている。また、少子化による通学者数の減少も鉄道運営に厳しさを加えている。
福岡県は、巨額の税金を平成筑豊鉄道に支出している。それ故、例外にすることはできない。公共交通機関としての使命と経営の効率化を天秤にかけると、鉄道廃止に向かう方向性が強くなっている。一度剥がした鉄路は、すぐには元に戻らない。将来の大きな課題として、しっかりと議論し次世代につないでもらいたい。
(2022.10.19.撮影)
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長