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ビルの谷間に蕎麦屋の暖簾が~港区・虎ノ門大坂屋砂場~ニッポンを歩こう163

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1872年に尾張国出身の稲垣音次郎が、砂場本家「糀谷七丁目砂場藤吉」の暖簾分けを受ける。琴平町(現・虎ノ門一丁目)に「琴平町砂場(後の虎ノ門大坂屋砂場)」として、この蕎麦屋は創業する。

「琴平町砂場」は、旧大名家・阿部氏の敷地の一部を譲り受けている。その理由は、妻が武家との縁が深かったためという。創業当初は、幕末、明治の剣術家の山岡鉄舟、高橋泥舟、勝海舟の「三舟」に贔屓にされ、店内にも、その書が残されている。

現在の店舗は、1923年の 関東大震災直前に建てられた建物だ。2011年7月に登録有形文化財(建造物)に指定された。

さて、「砂場」の名は、豊臣秀吉が大坂城を築いた時、大坂の和泉屋という菓子屋が、資材の砂置き場に蕎麦屋を出店したためと言われる。そして、徳川家康が江戸城に入府した際に江戸に進出し、糀町(現・麹町)に店を構えた。「虎ノ門大坂屋砂場」の「大坂屋」は、本店からもらった屋号である。

東京都心は、巨大なビル群が林立するようになった。虎ノ門周辺も例外ではなく、「ヒルズ」と名を冠した複合ビルも数多い。しかし、そのビルの谷間で、古き蕎麦屋はひっそりと佇んでいる。そして、その凛とした立ち姿は、歴史を刻んできた生き証人のように輝きを増している。

(2024.01.30.撮影)

(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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