山岳修験の霊場・・・戸隠
岩場の多い戸隠連峰は古くから山岳修験の霊場として、全国各地から修験者が集った場所です。そのため、戸隠信仰は長きにわたり、山岳修験を中心とした神仏習合の寺院であり、戸隠修験として全国にその名をとどろかせました。
1868(明治元)年の神仏分離令により戸隠一山は修験の歴史に終止符を打ちました。戸隠神社として新しい時代に突入したのです。その結果、この歴史的変換は、方々に多大の影響を及ぼし、衰退の一途をたどった霊場も少なくありません。しかし、幸いにも戸隠は幾多の至難をも乗り越え、現在の神社として歴史をつづいでおります。修験時代の女人禁制は1873(明治五)年に解かれます。
登山者の安全祈願・・・戸隠
現在では、四季を通じて登山を楽しむ人たちが訪れます。しかしながら、修験の山にはいくつもの難所があり、転落遭難事故が後を絶ちません。
戸隠観光協会では毎年、戸隠神社本社(奥社)にて登山者の安全を祈願しております。特に今年は戸隠観光協会創立90周年記念事業として6月7日、関係諸機関をはじめ多数の来賓を迎え、特別な開山式を執り行いました。
奥社参道口より白装束の杖祓いを先頭に、法螺貝・太鼓の音祓いとともに、戸隠神社楽部・山岳救助隊・警察・消防・来賓者等総勢百余名の行列は2kmの参道を奥社に向かい、戸隠神社宮司により戸隠山安全祈願祭が斎行されました。参道途中にある大講堂址では開山式が行われました。
登山道の注連縄切り・登り初め・戸隠神社太々神楽(長野県無形民俗文化財)十座の内、修験の所作を伝うる舞三座・東京オリンピック閉会式での和太鼓奏者「佐藤健作氏」による和太鼓演奏・金峯山寺本宗法螺師(戸隠流法螺師)「宮下覚詮氏」による法螺貝演奏が奉納され、その音色は戸隠山の峰々に響き渡り、参道を行き交う参拝者も足を止めて聞き入っていました。
ゼロ地場・特別な場所・・・戸隠
この大講堂址とは、奥社参道杉並木を抜けた旧院坊跡上部北側に位置し、「ゼロ地場」とも言われる特別な場所です。礎石は径1m程度のものが、縦10横6基の格子目に配置され、相当大きな講堂屋敷であったことがうかがえ、13世紀初頭頃まで存在していたとされます。
発掘以来、この地においての行事は、今回が初めてのことであり、修験色も交えて行われたことは、大変に意義深いことと感じ、登山者の安全をより祈念いたすところであります。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=26
寄稿者 辻明紀(つじ・あきのり) 鷹明亭辻旅館 代表取締役