北九州を舞台に、チャレンジ!
目の前で起こっている現実に落胆して、その現実を否定しているだけでは何も前には進まない。幸か不幸かよく分からないが、会社が破綻してから、自らと向き合って動くしかない状況に追い込まれた。ダメ人間も謙虚に成らざるを得なかった。そして新しいチャレンジで活路を切り開いて仲間とベクトルを合わせていくしかない、と考えるようになった。福智町の活動以前は、北九州市でも地域活動を推進していった。支店の仲間と一緒に「今を今からを」変えるために、自分たちで何ができるかを考えながら提案をして動いた。
北九州空港利用促進策としてアイデアも出しながらチャレンジした。しかし、当時は、まだまだ空港の認知度も足りていなかった。そのため、夏休みに子ども達が描く飛行機の絵のコンテストを開始した。応募作品のすべてを空港に掲示して、ご家族の方にも空港に出向いてもらった。
若松商店街の前田園など、若い経営者や地域の方々の協力もあって、2010年第1回の夏は、500枚を超える応募があり掲示場所が足りないような状況になった。しかし、子ども達が描いてくれた飛行機の絵に元気づけられた。おかげさまで、スタートして10年近く継続するコンテストになった。
また、小倉にあるクロスFMというラジオ局では「コミニケーション・ラジオ」という企画番組を制作して、地域で頑張っている方々をゲストに迎え、北九州の魅力や地元の企業や大学や自治体の活動を紹介した。予算も足りなかったが、トリゼンフーズや大和証券などに協力してもらって、共同で放送する長寿番組となった。その結果して、人脈製造機のようなツールにもなり、ありがたいことに関係した方々と現在もお付き合いが続いている。
(小倉経済新聞のWEB記事) https://kokura.keizai.biz/headline/1707/
福智スイーツ大茶会へのチャレンジ!
転機となった2013年秋、スイーツ企画のチャレンジが着々と進み始めた。それは、『スイーツをテーマにして、「上野焼(あがのやき)」「音楽」を加えた一大イベントをやろう!』という町の計画が浮上したことである。筑豊の地元だけではなく福岡県下の和洋菓子の名店を、福智町・金田ドームに集結させて「福智スイーツ大茶会」を開催する案だった。ありがたいことに福岡県洋菓子協会も賛同してくれて、博多ミラベル21やメゾンカイザーやジャンポールエヴァンにも出店交渉を進めた。
筑豊エリアはシュガーロード(長崎街道)も通る場所であり、石炭の隆盛と共に砂糖文化が開花した道であることもストーリーに花を添えた。県内37店舗のスイーツ店が集まり、地元の伝統工芸である上野焼の器で抹茶を楽しむことや福智リッチジェラート販売や音楽ステージ企画の効果もあり、10月5日からの2日間は想定を大きく上回る来場者数で金田ドームは膨れ上がった。
大会は、好評のうちに毎年続いた。そして、第7回となる2019年には、55店舗の出店にもなり、商品開発を加速させていくために「上野焼に似合うスイーツ・コンテスト」も開催した。多くの友人・知人に助けてもらいボランティア審査員もやっていただいた。審査委員長には、世界一のメートルドテルである宮崎辰氏に依頼・快諾してもらい、福智町会場での表彰式にも参加していただいた。
コロナ禍の襲来・・・大きな課題へのチャレンジ!
この年は、町の人口を1万人ほど上回る3万2千人の来場者数となった。その結果、九州最大のスイーツ大会として、このイベントは筑豊の秋の風物詩としても定着していった。旅行商品化も図られて順調だった。役場や商工会など地元の方々の熱意や努力が実り始めた瞬間でもあった。
ところが、年明けにコロナ禍に襲撃される。当時の記録写真を見ると、「密!密!密!」。会場の風景は、中止の判断をせざるを得ない事態に陥ってしまった。絶望感にさいなまれる境地となったが、自治体の現場は観光や誘客事業どころではなかった。
また、福智町には、365日のうち2日間がスイーツの町で、残りの363日は果たしてスイーツの町なのか?!という課題も横たわっていた。そして、この課題に触れることが、小型化・小口化・多頻度化について考察する良い機会になると考えた。
平日がテーマ・・・公募事業へのチャレンジ!
アフターコロナをイメージして、みんなで自由に考えてみよう!観光庁の誘客多角化の公募事業に挑戦して新しい切り口を探していくこととした。運良く企画した事業が採択された。それは「平成筑豊鉄道コトコト列車の平日利用促進」をテーマにしたものである。
平成筑豊鉄道の本社は、福智町の金田駅にある。ここに停車している車両を、少人数でも利用可能とするcafé・ランチ企画やクリスマス・バレンタインという平日が記念日となるイベントに観光列車を走らせる。そのような需要喚起を実施するアイデアを具現化した。
そして、昨年は、VISIT九州にも加わっていただき、野外絶景レストラン企画と上野焼の里を巡る体験ツアーを提案し、観光庁事業に連続して採択された。町のガイドの育成やサポートにも舵を切り、インバウンド事業の公募申請も行った。野外絶景レストランの取組は動画も作ったので、ご覧になっていただきたい。
アフターコロナ・・・これから
最初の一年が肝心だった気もする。3つのテーマに沿って次から次へとアイデアを出し続けて実行をしたことが、活動を軌道に乗せる早道だったと思う。2014年の冬には、観光アドバイザーの拝命を受けて、自覚と責任という己自身の欠けている部分の克服にもつながった。春には、山口県宇部市に転勤となって北九州を離れたが、休日など時間も作って関門海峡を渡って筑豊に出向きながらアドバイザー業務も続けた。中身のある連携協定や交流人事なども実現していった。活動は加速していったが、やはり、諦めないことと継続することは大事である。
ひょんな機会を好機ととらえて夢中になって動いていくと、答えは現場にあることに気づいていく。多少の濃淡はあるかも知れないが、「いつだって」「どこだって」「誰だって」コレくらいならできる気がする。
こうした活動は、他と比べる必要もなく、比較したくなった場合は過去の自分と比べてみれば良い。感謝する気持ちがフツフツと湧き上がってくるし、わずかな成長も感じることが出来て肯定感にもつながる。お世話になったり、お世話をすることが豊かな社会だ!と遅ればせながら、やっと気づいたのである。
やりたいこととやるべきことが一致して、 誰かのためになったりすると、不思議なことに継続したり持続したりする・・・。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=13
寄稿者 武知眞一(たけち・しんいち) ㈱VISIT九州顧問、赤村・福智町観光アドバイザー