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清明(さやけ)

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令和3年「戸隠神社」式年大祭

渡御中社
渡御の儀

 一昨年(令和3年)春、数え7年に一度行われる戸隠神社最大の祭典「戸隠神社式年大祭」が1か月間にわたり斎行されました。この大祭は丑年と未年に行われ、その大義は宝光社の天表春命(あめのうわはるのみこと)と中社の天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)が共に奥社の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の下に渡り諸事ご報告を行うものであります。

還御宝光社
還御の儀

 今では諸事情により宝光社の神様が中社にお渡りになられ(渡御)暫し御同座の間、奥社奉告祭で諸事ご報告になられ、その後宝光社にお戻りになられます(還御)。この渡御・還御が最大の神事であり、標高差300m、3kmの道程を地区内の獅子神楽・稚児行列などとともに500mに及ぶ行列は3時間かけて移動します。春の遅い戸隠でヤマザクラの満開の中、平安の絵巻を思わせる行列はコロナ禍の対策を講じながらも雅やかに進みました。

 今回は新型コロナウィルス感染症が猛威をふう真只中でしたので開催自体も危ぶまれました。毎度、時を同じく開催される善光寺御開帳は1年延期となりました。しかし、やはり式年の意味を尊び、大祭のテーマを「清明(さやけ)」と定め予定通り斎行しました。

天岩戸開き神話と戸隠神社

天岩戸開き
天岩戸開き

 この清明(さやけ)とは、天岩戸開き(あまのいわとびらき)の神話に出てくる言葉です。天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)は日の神であり、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が暴れられるのを悔やまれて天岩屋戸にお隠れになられます。すると、天も地も闇に包まれ悪しきことが次々と起こり、やがては生命体の存続もできなくなってしまいます(例えばコロナ禍も)。

 そこで、八百万の神が集まり相談したところ知恵の神である戸隠神社中社の御祭神、天八意思兼命の案に従い、真っ暗な岩戸の前でにぎやかに舞った神が戸隠神社日之御子社御祭神、天鈿女命(あめのうずめのみこと)です。すると、岩戸の中の大御神は岩戸を少し開けて外の様子をご覧になられ、その隙に岩戸を開け投げ飛ばした神が戸隠神社奥社の御祭神、天手力雄命です。

天岩戸 戸隠山
天岩戸 戸隠山

 そして、その岩戸が地上に落ちてできたのが戸隠山で、岩戸を隠した里で「戸隠」と名付けられたとも言われています。この岩戸が開いて天にも地にも日が戻り、生命体も復活し始める頃が立春で、立冬と立春の日には奥社参道の真正面から日が昇ります。これは天岩戸開き神話の始まりと終わりでもあり、奥社参道がその位置にあることからも大変古くからの聖地であることを察していただけるかと思います。

清明(さやけ)…クライマックスの舞

岩戸開きの舞
岩戸開きの舞

 さて、岩戸が開いて明るい世界が戻った時、岩戸の両側で控えていた天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天太玉命(あめのふとだのみこと)が「あはれあはあれ あなおもしろ あなたぬし あなさやけおけ」と祝詞を唱えます。「あはれあはれ」とは天晴れ(あっぱれ)、「あな面白あな楽し、あな清明おけ」文字通り清らかな明るい世界が戻ったことを寿ぐ言葉です。これは長野県民俗無形文化財に指定されている「戸隠神社太々神楽」のクライマックスである「岩戸開きの舞」でも唱えられます。この言葉を1か月間にわたる式年大祭のテーマとして、連日コロナ禍の鎮静を祈るお祭りともしました。

喜多郎さんが奉納するテーマ曲

 また、世界的シンセサイザー奏者である喜多郎さんに、この「清明(さやけ)」という新曲を作って頂き、二十四節季の一つ「清明(せいめい)の日」(令和3年4月4日)に戸隠神社中社社殿において奉納演奏をしていただきました。この新曲「清明(さやけ)」は令和3年戸隠神社式年大祭のテーマ曲として奉納いただき、戸隠のテーマ曲としても将来に残る作品となりました。

 一般の皆様にお披露目する機会として大祭期間中に「喜多郎 清明(さやけ)コンサート」を企画いたしましたが、新型コロナウィルス感染拡大のため開催に至りませんでした。

清明コンサート
喜多郎「清明」コンサート

 新型コロナウィルス感染症が第5類となった今年、以前ご紹介した一般社団法人戸隠観光協会創立90周年の記念事業の一つとして9月28日にようやく「喜多郎 清明(さやけ)コンサート」を開くことが出来ました。北野美術館戸隠館の展示室をお借りして奏でる喜多郎サウンドは会場に集まった誰もの心に深く染みわたり、心の底から正に清明き(さやけき)気持ちになれたことと思います。

 前代未聞のパンデミックに見舞われた3年間。その真只中で始まった「令和3年戸隠神社式年大祭」は清明(さやけ)の祈りとともに、「喜多郎 清明(さやけ)コンサート」を以て終結しました。

 これからの令和の御代、穏やかな清明き御代であれと願うばかりです。

立春の奥社参道
奥社参道「隋神門」立春の朝

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=26

寄稿者 辻明紀(つじ・あきのり) 鷹明亭辻旅館 代表取締役

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