今年5月中旬に北海道阿寒湖畔に行ってきました。
ANA系の旅行会社で働いた時、冬のパッケージツアーの代表的な存在で『私をスキーに連れって』で大ブームに至る北海道スキーツアーや通年観光を目標とする航空会社にとって大事なテーマであった冬の東北海道の担当もしていたので北海道、特に東北海道には思い入れがあります。
光の森
阿寒湖には樹齢800年を超える桂の木々から漏れる陽光から「光の森」と呼ばれる原生林があります。今では所有者認定の「森の案内人」同行のネイチャーツアーが人気なようですが、私が初めて光の森に入ったのは1980年代。春はクマよけの鳴り物、秋は毒キノコを選別する目が必要なので「プロ」に同行していただいたことを思い出します。ご承知の通り、阿寒湖温泉は1934年に指定された日本最古の阿寒摩周国立公園に位置しているので、「クマゲラ」の子育て・巣作りが発見されて環境省からの勧告により森の散策プランも中止になったこともありました。
今年の5月は熊も多く、光の森には入れませんでしたが、周辺の森や草原にはワラビと山ウドが群れをなしていました。森の中で白いミズバショウを見つけたら熊に要注意。体内の毒を出すために冬眠から明けた熊が食べるからです。
今春、ミズバショウは咲いていませんでした。熊が食べ尽くしたのでしょうか。
前田一歩園
「光の森」は鹿児島県出身の前田正名が1906年に国有未開地として明治天皇から拝領された約3600ヘクタールの「前田一歩園」の森のひとつです。3代目である光子さんの時代(1983年)に財団法人化されました。(現在は一般財団法人)今でもその子孫が管理しています。
湖畔にある記念館には前田正名が東郷平八郎と撮った写真も飾られています。阿寒の地に立った正名は湖畔の景観に深い感銘を受け、晩年に「この山は、伐る山から観る山にすべきである」と語ったと伝えられています。(財団法人公式ホームページより)
「前田一歩園」の「一歩」は「物ごと万事に一歩が大切」からをとって命名されたそうです。手つかずの森を守り育もうという姿勢だけではなく、明治の人の進取の精神、北海道開拓への強い思いも感じます。
アイヌコタン
アイヌの集落であるアイヌコタン。阿寒湖アイヌコタンには約120人が暮らしているとのことです。阿寒湖アイヌコタンも前田一歩園の3代目前田光子さんが関わっています。東北海道で厳しい生活を強いられてきたアイヌ民族の生活を守るために光子さんは私有地を無償で貸与し、1959年から各地のアイヌ民族が阿寒湖畔に移住したことが始まりです。今ではアイヌ古式舞踊の見学もできるアイヌシアター「イコロ」ができて、阿寒湖畔にしかない観光資源ともなっています。
アイヌ民族の生活・文化と手つかずの自然「光の森」を守り育むとは、阿寒湖畔の観光の「光」を守り育むことでもあると思います。
阿寒湖畔は国境・境界地域ではありませんが、長い歴史の中ではサハリン・カムチャッカ半島南部そして北海道オホーツク沿岸地域に広がっていたオホーツク文化との境界に位置しています。そして、オホーツク文化はアムール川下流地域にいた人々が渡来して成立した文化と言われています。毎冬に網走から知床半島を埋め尽くす流氷と同じルートです。ひがし北海道の観光にとって神秘的な物語ではないでしょうか。
国境を超えないボーダーツーリズム
昨年10月に中標津空港を利用して久しぶり標津町に行きました。昔訪れた「開陽台展望台」からの360度の眺望は忘れることができません。遠く北方領土の島影まで見えることがあるそうです。今回は標津町に1泊しただけでしたが、晩秋の晴天に恵まれ、根室海峡の向こう約24km先の国後島、知床半島がはっきりと見ることができました。
根室から標津・羅臼・知床峠・ウトロ・斜里・網走・紋別、そして稚内までの行程は自然豊かな北海道らしい観光ルートですが、国境を超えないボーダーツーリズムの体験がいくつもできます。根室から知床峠(夏季)までは北方領土が望めますし、根室市の北方館・望郷の家、標津町の北方領土館、網走市の道立北方民族博物館、モヨロ貝塚館など古代から現代に至る教育旅行にも適した施設がたくさんあります。
博物館網走監獄
博物館網走監獄は1983年7月にオープンしました。後に冬の網走を代表する観光体験となる流氷観光砕氷船もなく、関係者の方々は大変苦労されたと思います。長く網走監獄保存財団の理事長を務められ、2017年2月に急逝された鈴木雅宣さんの卓越したアイデアと行動力もあり、網走を代表する通年観光施設となりました。
網走監獄、明治初期には網走集治監と呼ばれ、不平士族や政治犯を収監しました。明治初期の北海道(特に東北海道)は未開拓の地が多く、時の明治政府はロシア帝国の脅威に対するためにも北海道の開拓が急務でした。囚人たちは道路建設や鉱山労働などの強制労働を強いられ、多くの犠牲者を出しました。囚人たちの悲惨さ、その歴史的な背景を知り、国境・境界地域の国防上の歴史的な役割を学ぶことは大変重要なことではないでしょうか。
ダークツーリズムに分類される施設の第一義が観光収入ではないことは言うまでもありません。ボーダーツーリズムも観光収入への貢献は少ないですが、当該地域の歴史、文化、自然、風土・風度を独特の観光資源にしていく大切な要素であり、取組みだと思っています。
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=17
寄稿者 伊豆芳人(いず・よしひと) ボーダーツーリズム推進協議会会長