賢明な読者のみなさんは、いずれこれをやるに違いないとご推察だったろう。倉本聰による原作・脚本。主演は田中邦衛なのだろうが、実際には、寅さんでも活躍した吉岡秀隆が演じる息子、黒板純の成長物語といったほうがいい。東京から故郷の北海道に戻り、厳しい冬と格闘しながら暮らす一家。1981年10月から半年間、毎週放映された後、スペシャルのシリーズが8編続き、2002年まで放送された多くのファンを魅了したドラマだ。
舞台となったのがラベンダーで有名な富良野。北海道の大自然にあこがれる視聴者にはたまらない番組だったに違いない。現地でも愛されていたのだろう。さだまさしが唄う「ララララララララ」の歌(念のため、書いておくが、拓郎の「人間なんて」ではない!)は、日本ハムファイターズの「ジンギスカン」とならぶ応援歌である(ちなみに、私は「チキチキバンバン」の方が好きだ)。
北海道は、一つではない
ところが私はこのドラマにあまり関心がなかった。というか、なぜこのドラマが好きな人が多いのか、いまだにわからない。たぶん、北海道がドラマのなかでステレオタイプ化されているのが嫌なのだろう。私の記憶が正しければ、あれは1994年12月。私はまだ山口の大学に勤めていたが、研修で半年間、いまの職場(北大)に滞在していた。とても雪の多い冬だった。こんな荒れた12月は珍しいということだった(確か、2回も数日にわたり、新千歳空港が閉鎖された)。
「ニューステーション」で久米宏が北海道の天気についてしゃべっていた。突然、富良野にいた倉本聰が呼び出される。久米さんが言った。「北海道は天気大荒れだそうで」。倉本さんが困った顔をして答えた。「いや、それほどでも」。私は札幌で見ていて腹がたった。12月の富良野はそれほど雪がない。大変なのは札幌、小樽、岩見沢、そして千歳まで。おいおい。北海道をひとつにするなよと。
ほら、テレビ見たんでしょ!?
12月のシンポジウムにロシア通の先輩研究者が東京から来た。なんとロシア製の毛皮の帽子をかぶっている。「先生、どうしたの?」「いや、今年は荒れてるって聞いたので」。私は「ニュースステーションでも見たんかい。おいおい、雪は大変でも気温は下がってないんだよ。0度もいってるかどうかだから」と口に出したい言葉を飲み込んで、「先生、暑いっしょ」。先生は確かにとおっしゃって帽子を脱いだ。零下20度仕様のロシア帽の出番は早い。
と、興味のあまりなかった「北の国から」だが、「2002遺言」はしっかり見た。場所が国後島の見える羅臼だからだ。唐十郎も岸谷五朗もかっこよかった。内田有紀と吉岡の恋愛もよかった(それにしても、ゴクミのときもそうだが、うらやましい)が、本当に結婚したのには驚いた。ただ宴会を中座して、羅臼からタクシーに乗って富良野に戻るシーンがあるのだが、あれは正気か? いったい何時間かかると思ってるの。富良野まで雪道を行くタクシーがあるとは私には思えない。
場所は変わって、南の島へ
賢明な読者は、私が実は吉岡ファンだと気がついているから、次は「Dr.コトー診療所」に飛ぶと予想していたに違いない。フジテレビ的には北で当てたから今度は南でという二番煎じだったと推察する。こちらは原作が漫画(山田貴敏著)であり、モデルとなる離島治療の医師がいる。鹿児島県の下甑島、手打診療所の瀬戸上健二郎先生がそれだ。
下甑島は孤島ではあるが、川内市から原発を見ながら高速船で行けば1時間半程度。今は上甑島まで橋もつながり便利になっている。
そこでもっと孤島をということになったのだろう。石垣島から127キロ、フェリーだと4時間、飛行機でも30分、むしろ距離的には台湾により近い与那国島の比川が舞台となった。
番組は2003年と2006年に2か月間毎週放映。そのほか、特別編なども作られ、2022年に16年ぶりの続編が劇場映画として公開されたのは記憶に新しい。
与那国は人口も少なく島も小さい。映画の舞台になることで島が一躍、有名になると思われた。吉岡をはじめ、柴咲コウ、時任三郎、小林薫、そして泉谷しげる。これらの顔ぶれがロケで寝泊まりする。エキストラには島民が動員された。島はさぞ盛り上がったに違いない。
ロケ地も長く続くと・・・
最初はそうだったろう。だが素人エキストラとして駆り出された島のおじい、おばあ。演技ができるはずもなく、何回も何回も撮り直し。最初は我も我もだったそうだが、最後はみな出演をしぶるようになったそうな。
俳優さんたちもそうだったろう。青い海と豊かな自然。でも長くいるとやることがない。食堂も飲み屋も限られている。毎晩毎晩、同じような顔ぶれで一緒に泡盛ばかりではたいくつになるだろう。なぜ、長い間、続編が作れなかったのか?それは主演級の一人が島でのロケを渋ったからだという。そういえば、ずっと遠隔で出ていたキャストがひとりいたような。
ボーダフル・ジャパン、ご一緒しませんか
私は吉岡が嫌いではない。だが、それ以上にボーダーを愛している。羅臼、甑島、そして与那国。ドラマをつなぐボーダフルなエピソードをみなさんにも味わってほしい。
日本の国境や境界に違い10の自治体でつくる境界地域ネットワークJAPAN(JIBSN)。
2024年10月は与那国島にみな集まったツアーを行った。昨年2023年は北海道標津町。そう羅臼に行って知床を横断した。来年は対馬から釜山にわたる予定。みなさんも一緒にボーダーを旅しませんか?
JIBSNのHP
http://borderlands.or.jp/jibsn/index.html
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=20
寄稿者 岩下明裕(いわした・あきひろ) 北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授