佐渡島は総延長262.7km、本州などの主要4島と北方領土を除いて、沖縄本島に次ぐ大きさ854.76k㎡の日本海有数の島だ。
北前船・西廻り航路によって、北陸地方や西日本との関係性が深い。そのため、京言葉に近いと言われる特有の佐渡弁が存在する。また、古くから流刑地でもあり貴族文化が伝承されてきた。特に「能」は世阿弥が配流されたために、現存する能舞台が島内に32か所も残されている。往時はそれ以上に能舞台が作られていた。
関ヶ原の戦いの後、1601年に佐渡金山が発見される。そのため、徳川家は、その利権を独占し支配地とする。当時の佐渡島の金の産出量は世界一だったと言われている。直接統治を進め、幕府は藩を置かずに天領とした。そして、相川に佐渡奉行所を置き治世を進めた。金の力は、時の政権に安定的な財力を供給し続けていたのである。
しかし、戦後1951年、佐渡金山は商業採掘を終了する。一方、佐渡金山は佐渡島を代表する観光地として、観光ツアーに組み込まれている。さまざまな外圧などがあったが、世界遺産登録の推薦を受け、2024年7月、一年待たされた登録が確定した。
日本海側は糸魚川付近を境にして、その東西で文化や風習が異なる。佐渡島は、鰤文化も華やかしく、独自の文化を育ててきた歴史を持つ。そして、四季折々素晴らしい風景を見せてくれる広大な土地なのだ。
(写真は、矢島・経島のたらい舟)
(2010.08.09.撮影)
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取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長