銀座四丁目交差点は、ネオ・ルネサンス様式の和光本館など、日本を代表するランドマークが建ち並ぶいわゆる「銀座」の中心地だ。
その歴史は、徳川幕府が開府し、もともと海の中であったこの場所を埋め立て整備した。現在は、中央通りと晴海通りが交差する場所。江戸時代には、既に15m幅の大通りであったという。そして、交差点南側の鳩居堂前は、公示地価が日本一の場所。「銀ブラ」と言われるように日本の観光スポットの中でも群を抜いた存在でもある。
明治時代になると、道路幅は2倍の30mとなった。1970年から中央通りは、歩行者天国も実施されている。
さて、商業地域の中心である「銀座」は、娯楽の中心地でもある。そして、この景色は松本清張さんの『黒革の手帳』を彷彿させる。
全国各地にある「銀座」も東京の銀座と同じようにその地域の繁華街の総称になっている。しかし、その端緒は、1612年に駿府(静岡市)から銀貨幣の鋳造所をこの地に移したことに由来する。そのため、「銀座」の名前が全国に定着した。
バブル期、座って数万円というクラブが、中央通り沿いの銀座1丁目から8丁目まで、ほとんどのビルで営業していた。今でも老舗と言われるクラブは、コロナ禍を乗り越え、元気につながっている。まさしく、『黒革の手帳』のように・・・。
(2021.11.04.撮影)
(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8
取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長