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アルゼンチン・ブエノスアイレスに学ぶ、データ駆動型観光地経営の極意【JSTS-D入門】その12

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アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、単なる人気観光地にとどまらず、持続可能な都市観光マネジメントの先駆者として世界的に注目されている。同市は「住むのに素晴らしい街」であることを最上位目標に掲げ、観光の成功を本質的に住民の幸福と結びつける独自のモデルを構築している。このアプローチは、観光客と地域社会の双方に利益をもたらす「住んでよし、訪れてよし」という理想を具現化するものだ。

このブエノスアイレスモデルの中核をなすのが、その革新的な「観光分析システム(SIT)」である。これはビッグデータを活用し、ガバナンスを事後対応型から事前対応型へと転換させる官民連携のプラットフォームであり、現代の観光地経営に不可欠なエビデンスに基づく政策決定を可能にしている。


第1部:ガバナンスとデータシステム:持続可能性の頭脳

ブエノスアイレスの持続可能性への取り組みは、その卓越したマネジメントシステムと戦略的構造に支えられている。これはGSTC/JSTS-Dフレームワークの「持続可能なマネジメント」の柱に対応するものだ。

1.1 観光分析システム(SIT)がもたらす革新

2017年に導入されたSITは、官民双方の意思決定のために膨大なデータセットを実行可能な知識へと変換することを目的とした、公的で無料アクセス可能なビッグデータツールである。スペインの観光コンサルティング会社SEGITTURなどとの協力のもと開発され、ブエノスアイレスをこのようなプラットフォームを持つ米州初の都市として位置づけた。

SITの強みは、その多様なデータソースにある。携帯電話ネットワークデータから観光客の市内移動パターンを追跡し、航空券検索・予約データから需要を予測。さらに宿泊データや交通・到着データも統合する。これにより市は、過去の到着客数といった遅行指標から、将来の予約需要といった先行指標へと分析の軸足を移すことが可能となり、真に「インテリジェント」で事前対応型のマネジメントを実現している。

SITの導入は、具体的な政策決定に直結している。例えば、SITの需要予測とインフラ不足の分析に基づき、ホテル建設を促進するための税制優遇措置が2019年に制定された。また、観光客が都心部に集中する課題に対しては、SITのモビリティデータを活用して潜在的な観光エリアへの分散を促す「Mi Barrio(私の地区)」プロジェクトが推進されている。

1.2 統合的ガバナンスと官民連携

ブエノスアイレスの観光行政は、政策と開発を担当する公的機関エンテ・デ・ツーリスモ(ENTUR)と、国際プロモーションに特化した官民組織Visit Buenos Aires(Visit BA)の緊密な連携によって運営されている。この二元的な構造は、官民の協力を制度化し、効率的な役割分担を可能にしている。

官民連携は戦略の根幹をなす。政府はSITデータを用いて機会(例:ホテルの不足)を特定し、民間投資を促すための政策を策定する。一方、民間事業者はSITデータに無料でアクセスし、特定の観光客プロファイルに合わせた新商品やマーケティング戦略を開発できる。また、ENTURは他の政府部門と積極的に連携し、観光が都市計画全体に統合されるよう努めている。


第2部:具体的な成果:社会・文化・環境への挑戦

ブエノスアイレスの持続可能な観光モデルの真価は、社会、文化、環境という具体的な分野における取り組みに表れている。

2.1 社会経済の柱:地域と住民の幸福を測る

市の観光戦略は、訪問者が本物の地元企業と関わることを奨励し、観光収入が地域に還元される仕組みを構築している。さらに、観光客の満足度だけでなく、彼らと交流する住民の満足度も測定している点が特徴だ。公共の安全向上は、住民と観光客双方に利益をもたらす最優先事項とされている。この「住みやすさ」と「訪れやすさ」の共生関係こそが、ブエノスアイレスモデルの核心である。

また、同市は障害を持つ人々のためのアクセシブルな観光ガイドや研修を提供するなど、社会的インクルージョンにおいても大きな進歩を遂げている。

2.2 文化の柱:遺産保護と「タンゴのパラドックス」

ユネスコ無形文化遺産のタンゴ

文化はブエノスアイレスの魂であり、市は文化遺産のプロモーションと長期的な保存のバランスを取ろうとしている。しかし、ユネスコ無形文化遺産であるタンゴは、観光客向けの「絵葉書」的なショーとして商品化され、現代のタンゴシーンが軽視されるという「タンゴのパラドックス」に直面している。これは、観光消費のために文化の外殻だけを保存し、生きた文化そのものが衰退する危険性を示唆している。


第3部:結論と日本への提言

ブエノスアイレスの持続可能な観光モデルは、完璧ではない。しかし、データを用いて自らの弱点を特定し、その道のりを透明性をもって公開している。この誠実な姿勢こそが、ブエノスアイレスを世界にとって強力かつ現実的なケーススタディたらしめている。

日本の観光地域創生を考える上で、ブエノスアイレスモデルは重要な教訓を示唆する。

  • インテリジェンスへの投資: 感覚ではなく、データに基づいた意思決定こそが現代の観光地経営に不可欠である。
  • プロモーションと保存のバランス: 観光客に人気の遺産を保存するだけでなく、それを生み出す現代の文化を積極的に育む必要がある。
  • 重要なことを測定する: 観光客数といった伝統的な指標だけでなく、住民満足度や環境パフォーマンスにまで成功の定義を広げるべきだ。

これらの教訓は、日本の観光地域が直面する課題を克服し、真に持続可能で豊かな未来を築くための指針となるだろう。

日本版 持続可能な観光ガイドライン( JSTS-D) は下記のリンクよりご覧いただけます。
https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/810000951.pdf

寄稿者:東京山側DMC 地域創生マチヅクリ事業部

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