地域創生と風土再生をテーマにした研修ツアー。その第1日目、私たちは東日本大震災からの力強い復興を遂げる岩手県陸前高田市を訪れ、八木澤商店の河野通洋社長に伺ったお話を3回にわたってお届けします。
東日本大震災で、町の中心部の8割が失われた岩手県陸前高田市。想像を絶する被害の中、この町で芽生えたのは絶望ではなく、「一社も潰すな、一人の雇用も切るな」という、地域の中小企業経営者たちの燃えるような誓いでした。これは、単なる復興ではない、民間が力強く未来を牽引した奇跡の物語の幕開けです。

■ 「俺たちでやろう」絶望の中で灯ったリーダーシップの光
震災直後、市役所機能は麻痺し、指定避難場所さえもが津波にのまれました。電話も通じず、救援物資の受け入れすらままならない混乱の中、最初に動いたのは地元の経営者たちでした。
震災前から、互いの決算書まで公開し「一社も潰すな」を合言葉に学び合っていた仲間たち。その結束力は、未曾有の危機において真価を発揮します。震災からわずか5日後、陸前高田ドライビングスクールの田村社長が「俺たちでやろう」と声を上げ、被災した社員たちと共に救援物資の仕分けを始めたのです。
■ 雇用を守り抜いた画期的なアイデアと金融機関の約束
彼らが最優先したのは、雇用の維持でした。「ボランティア活動を休業扱いとし、国から賃金の8割が支給される」という、前例のない雇用調整助成金の活用スキームをハローワークに交渉し、実現させます。さらに、メインバンクの支店長が「絶対潰さないからな」と約束し、岩手県内の全金融機関が返済猶予を決定。これにより、経営者たちは安心して事業の再建に集中することができました。
■ 「懐かしい未来」へ。民間が行政を動かし、未来を創る
民間の迅速な行動は、行政をも動かしました。震災から1ヶ月後には国の支援スキームが動き出し、経営者たちはその情報を200箇所の避難所に自ら届け、事業再開への希望を繋ぎました。

未来を担う若者たちのためにも、彼らは立ち上がります。「この町に未来はない」と嘆く高校教員に対し、地元企業が100%の受け皿となることを宣言。その結果、震災翌年の新卒有効求人倍率は、2.85倍という驚異的な数値を記録しました。
そして同年9月、彼らは「小さくても持続可能な幸せな社会」を目指す会社、その名も「懐かしい未来創造」を設立。ここから40社の新しいビジネスが生まれ、10年後には140社が息づく「企業家の町」へと変貌を遂げたのです。
「諦めることが悪い」―。陸前高田の不屈の精神は、絶望を希望に変え、未来への確かな一歩を刻み始めました。
次回は、この力強い精神がどのようにして、エネルギーや食、福祉といった分野で革新的なビジネスモデルを生み出していったのか。その挑戦の軌跡を追います。
寄稿者:東京山側DMC 地域創生マチヅクリ事業部