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あの時を忘れない~雲仙普賢岳を望むコスモス畑・長崎県島原市~ニッポンを歩こう138

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雲仙普賢岳は雲仙火山の一部、1990年から1996年にかけて噴火活動が活発であった。その中でも1991年6月3日に大火砕流が発生し、44人が亡くなった。また、翌年8月に土石流が起き、島原鉄道は埋没、多くの家屋も被害に遭った。

その後、水無川の拡幅工事や普賢岳の緑地化が進められる。そして、1996年5月30日に終息宣言が出された。一方、新たな火山は「平成新山」と名付けられた。島原方面から見上げると巨大な溶岩ドームができている。

当時のテレビ映像は、山から火砕流が襲ってくる姿を配信した。その結果、眼前に迫ってくる恐怖をリアルに感じるものだった。その記憶は、誰もが頭の片隅に残っているだろう。

さて、この島原火張山花公園は、噴火災害の際に市民を守るための砂防指定地として造成された。そして、2012年に島原の新たな観光地として公園化。また、2018年2月には「しまばら芝桜公園」と名称変更された。毎年10月上旬から11月中旬にかけて、1,000万本のコスコスが咲き誇る。そのため、まるで普賢岳がコスモスの海に浮かんでいるような姿だ。

忘れてはならない記憶・記録は、そこに人々が集まることによって、つながっていく。美しい景色の裏側には、多くの人のさまざまな思いが残されている。

(2015.10.29.撮影)

(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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