「お台場」は、東京湾上に砲台を設置した場所だ。その由緒は、江戸時代末期に欧米列強の開国要求に対して造られたものである。品川台場と称し7つの台場が建設される予定であった。
そして、その台場に向けて、レインボーブリッジは掛けられている。まるで未来都市へいざなうような夢の橋梁と言える。慢性的な交通渋滞が発生する首都高速。千葉県および神奈川県から東京都心へ向かう交通を分散させるために作られた。1993年8月に開通する。

かつて、台場は、レインボーブリッジが建設される前まで13号地埋立地と呼ばれていた。江東区東雲方面からは陸続き、その当時、海辺でバーベキューに興じる老若男女の隠れたレジャースポットとなっていた。
もし、博覧会が開催されていたら・・・
さて、この開発途上の未来都市が脚光を浴びるようになる。「世界都市博覧会」の開催である。会場として、台場地区は東京臨海副都心と呼ばれ、整備開発が進められる。新たな交通システムが構築され、都心側からレインボーブリッジを渡り、短時間で会場へ到着できるように計画された。次々と計画が具現化し、あとは博覧会の開催を待つばかりだった。
しかし、都市博は都知事選の結果によって、1995年に正式に中止となる。空き地ばかりの未来都市は宙に浮いた。一方、この年「ゆりかもめ」が開業する。また、1997年にはフジテレビが新宿区曙橋から移転。「レインボーブリッジ、封鎖できません」という名言が生まれたテレビドラマ『踊る大捜査線』のロケ地として、一躍有名となっていく。
もし、あの時、都市博が開催されていたら、台場の今は、どうなっていただろうか。

スクラップ&ビルドを繰り返す未来都市
2006年3月、ゆりかもめは有明駅から豊洲駅まで延伸し、東京メトロ有楽町線と接続した。これによって、新橋駅からの一方通行から脱却する。しかし、東京都との間で締結していた20年間という「事業用定期借地権設定契約」が満了すると、開発初期段階から進出していた多くの施設が閉館する事例が見受けられた。人気の温泉施設や華やかな商業施設、自動車会社ショールームなどが惜しまれつつ終わりを告げている。
一方、築地場内市場の豊洲移転や有明エリアのイベント施設の建設など、新しいコンテンツも増加傾向にある。また、公道を利用した自動車レースなども開催されるようになり、未来都市は、常に充実を続けている。そして、高層マンション群も数多く建設され、居住者数も伸張し、街に活気を与えている。
羽田空港の南風運用によって、着陸寸前、眼下にレインボーブリッジの姿が見えるようになった。東京を代表する景観として、人気の的となっている。そして、お台場に対峙する竹芝や天王洲からの水辺空間を楽しむ舟運も整備されている。
湾岸エリアは、これからも「水・陸・空」と魅力的な観光コンテンツとして成長していくモノ・コトと確信する昨今である。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表
(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=181