巨大パブリックアート出現
開発当時からスローガンである「アートになる島」は、すでに街中にアート作品がひっそりと設置されていました。このスローガンに沿って街の中にアートをちりばめ、島を美術館のようにすることへの挑戦がはじまりました。
最初に、高さ30mの壁に巨大壁画を描き、大きな反響がありました。壁画をはじめとする常設のアート作品の設置はキャナルフェスのような一過性のイベントと違い、街の景観にインパクトを与えます。当然ながら新たなアート作品の賛否については、さまざまな意見が交わされました。巨大壁画やアート作品の設置を増やすために、地権者、行政、住民、就業者をはじめ景観の有識者と「天王洲地区景観まちづくり研究会」を立ち上げました。壁画等の実証実験を重ねて意見交換をしながら「天王洲地区景観まちづくりルールアイデアブック」をつくり、現在は、「品川区天王洲地区デザイン会議」としてアートの景観だけでなく、街全体の景観に関する意見交換の場が設置されています。このようなプロセスを経て、天王洲は、品川区景観計画重点地区と東京都プロジェクションマッピング特別地区に指定され、他の地域では規制により実施が難しい巨大壁画やアート作品の設置、プロジェクションマッピング投影について実施しやすい環境が生まれたのです。その結果、天王洲の街の中に徐々にアート作品が増え、2019年、「TENNOZ ART FESTIVAL 2019」が開催され、天王洲はこのアートフェスティバルを契機に藝術国際都市を宣言しました。 われわれは、翌年の東京2020オリンピック・パラリンピックで、天王洲を芸術文化の情報発信拠点として世界に売り出したい、そんな思いでした。
2019年10月に開催された「天王洲・キャナルアートモーメント2019」では、東京2020オリンピック・パラリンピックの基本方針推進調査として、大会の機運醸成のために天王洲運河に大きな台船を並べ舞台を作り、プロジェクションマッピングや照明演出を施し、和太鼓をはじめ日本文化の発信を目的としたさまざまな演目が行われました。同時に、江戸文化を継承する屋形船を外国人旅行者向けにサービスをカスタマイズして、少人数で気軽に乗船できる「東京“屋形船”ナイトクルーズ・エンターテインメント」として運航しました。まさに東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて芸術文化の情報発信拠点としてプロモーションを仕掛けた時期でした。
突っ走る4年間
2016年~2019年の4年間を振り返ると、われわれの活動を一番見てくれていたのが、近隣地域や就業者の方々でした。運河沿いのボードウォーク、巨大壁画やアート作品は天王洲の空間に彩りを与え、日常的に人々が行き交う場所となりました。また、夜間は橋梁や運河沿いの建物へのライトアップにより、幻想的な夜景が生まれました。
年4回のキャナルフェスでは、プロジェクションマッピングや運河クルーズ、音楽ライブ、マルシェ、ワークショップ、キッチンカーが並び、来場者は非日常空間を楽しんでいます。天王洲の街が変わっていく様子は、テレビや新聞、雑誌、WEB、SNS等のメディアを通して多くの媒体で紹介されました。その結果、世界規模の巡回展など、数十万人を集めるような長期イベントも開催されるようになりました。それでも歩みを止めることなく、われわれは次から次へと新たな取り組みに果敢にチャレンジしています。最初は、われわれの活動に疑問を抱いていた人々までも、今では応援してくれています。ぶっちぎりの行動力が、渦巻きのように街の皆さんの心を動かしたと思います。成功の背景には、3つの要素がありました。まずは、天王洲開発コンセプトを徹底的に分析したこと。次に、既に過去ににぎわいがあったこと。最後は、2020年のオリンピック・パラリンピック開催までに文化芸術発信拠点として天王洲を世界に売り出したいという目標があったこと。この3つの要素と水辺とアートとテクノロジーを掛け合わせた空間価値創出によってアーバンリゾートの街が出来上がったのです。
コロナ禍で学んだこと
コロナ禍においては、活動の危機に直面しながらも、これまでの活動について立ち止まって分析をすることができました。東京都、品川区、大学、近隣地域の方々からの支援や応援を受けて街のポテンシャルの磨き上げを行った天王洲は、閑散とした街のイメージは払拭され、かつてのようにおしゃれな街のイメージが復活していました。働きたい街や住みたいエリアのランキング上位に位置する人気スポットになり、その結果は、天王洲の地価上昇に反映されました。われわれが開催する年4回のキャナルフェスは、天王洲で定期開催されるおしゃれなフェスとして認識され、数万人を集客できる大きなイベントに成長しました。しかし、この程度のにぎわいでは、地域経済を活性化させるにはまだまだ力不足であることも思い知らされていました。具体的には、毎日このにぎわいを作らなければ、街の活性化に寄与できない、街の中に日常的に国内外の人々が訪れるためのコンテンツを開発し、お金を使ってもらう仕組みづくりが必要なことに気付いたのです。その分析の結果、次のステップとして観光都市に転換するために観光地域づくり法人(DMO)設立を目指すことになりました。
都市型の文化観光地域づくりにより、天王洲を国内外から観光客の訪れる文化芸術発信拠点にすることを当協会として宣言しました。これは、当初の開発コンセプトである「新しい文化都市の創成」に沿ったものでした。