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平成芭蕉の「令和の旅指南」⑰ 小松市に残る珠玉の石文化

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白山信仰の古刹「那谷寺」で感じる石の文化と九谷焼

 石川県小松市と言えば、建設機械メーカーのコマツ(株式会社小松製作所)の企業城下町で、歌舞伎「勧進帳」の舞台となった「安宅の関」などを思い浮かべますが、碧玉や九谷焼などの石の資源を活用した豊かな石の文化も息づいており、「『珠玉と歩む物語』小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」というストーリーが日本遺産に認定されています。

 実際、「奥の細道」の旅で松尾芭蕉も訪れた、1300年の歴史を持つ古刹「那谷寺(なたでら)」は、碧玉の地層が見られる岩山に開かれ、屋根には地元の凝灰岩、庫裏庭園には碧玉(ジャスパー)や瑪瑙(メノウ)石の飛び石が配されており、まさに時の流れで磨き上げられた石の文化を感じさせてくれます。

 また、石川県を代表する焼き物といえば、明治期に欧米で「ジャパンクタニ」と称賛された九谷焼ですが、小松は全国有数の陶石産出地でもあり、九谷焼は江戸後期に花坂地区で発見された花坂陶石山の石が用いられています。

 九谷焼と聞くと赤、黄、緑、紫、紺青による色鮮やかで華やかな上絵付けや釉薬(ゆうやく)といった加飾に目を奪われますが、陶土(粘土)があってこそ器が形作られ、そこに絵付けを施すことができるのです。

 そこで私は「九谷セラミック・ラボラトリー(セラボ九谷)」を訪ねましたが、この施設には谷口製土所が管理している製土工場があり、機械は現役で稼働し、ここで作られた粘土が、実際に窯元や作家の手に渡っています。

 セラボ九谷では九谷焼の展示販売や、ロクロ、手びねり、絵付けなどの体験もできますが、製土工場が丸ごと展示されているような施設で、九谷焼にとっていかに粘土が重要かを認識することができます。

小松の碧玉と「玉つくり」

滝ヶ原のアーチ型石橋
滝ヶ原のアーチ型石橋

 私は今、縄文時代について研究していますが、石と人との交わりは、広く深いものがあります。その代表的な石としては黒曜石やサヌカイトを連想しますが、今から2300年前の弥生時代には、自然や生命、権力への象徴として「緑」への憧れが強く、朝鮮半島から伝わった「碧玉(緑の玉)」が求められました。当時の権力者は碧玉の国産化を目指し、碧玉のとれる場所を探しましたが、良質で豊富な碧玉がとれた場所は全国で4か所しかありませんでした。

 その4カ所の中でも小松の碧玉は量が見込め、きめ細やかさに優れていたため、小松の弥生人は那谷・菩提・滝ヶ原で産出される碧玉を原料に、首飾りや頭飾り用の「玉つくり」を開始しました。

 現代でも復刻困難な加工技術によって作られた管玉は、糸魚川産ヒスイを加工した勾玉と組み合わせた首飾りや頭飾りとして、日本海沿岸交易を経て九州へと届けられ、弥生の王たちを魅了したと考えられます。

 そして古墳時代に装身具としての石製腕輪の需要が増えると、小松の緑色凝灰岩に精巧な彫刻加工を施した腕輪は、当時のヤマト王権の豪族がステータスシンボルとしてこぞって求め、各地へと広まっていきました。

前田利常公の小松城と「石の里」滝ケ原

小松の基礎を築いた前田利常公
小松の基礎を築いた前田利常公

 本格的な小松のまちづくりは、江戸時代に入って加賀前田家の三代前田利常公が隠居し、小松に居を構えたことに始まりました。前田利家の四男、利常公は加賀一向一揆の拠点となった小松城を大規模に改修し、その結果、小松城は巨大な湖沼に浮かぶ、全国でも珍しい「浮き城」となり、難攻不落の要塞であったといわれています。

 現在、その遺構はほとんど残っていませんが、三の丸跡の芦城(ろじょう)公園には前田利常像が建てられ、小松高校のグランド端には本丸櫓台(天守台)が残っています。その石垣は当時の最新工法「切り込み接ぎ(はぎ)」で積み上げた精緻なもので、地元の凝灰岩「鵜川石」と金沢の安山岩「戸室石」などがモザイク状に組み合わされており、デザイン性も豊かで、見ているだけでも楽しめます。

 しかし、利常公のこだわりは石垣構築だけでなく、城内や町家を区画する堀や河川の護岸、橋台にも及びました。そして利常公以降、近世のまちづくりが本格化すると、本格的な石切り場の開発が始まり、「遊泉寺石切り場」「滝ヶ原石切り場」など、現在、確認される石切り場の多くは江戸期に開かれていますが、随所に溜まった地下水が例えようもなく美しい光景を作り出しています。

 「石の里」の風景を今に残す滝ヶ原町には、5橋のアーチ型石橋が残っていますが、これは水に強く青白い色調が美しい滝ケ原石を使用した石橋です。滝ヶ原の「石の里」を散策し、日本遺産構成文化財であるアーチ型の石橋などの建造物に触れると、旅心が促されると同時に旅の想い出も提供してくれます。そして『珠玉と歩む物語』は、私たちに「石」を見つめ直し、「人と石との出会い」について再考する機会を与えてくれます。

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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