東京都の東端に位置する江戸川区。区内の西葛西エリアにはインド人が多く暮らし、本格的なカレーなどを出す飲食店や食材店が集まる“リトル・インディア”としても知られています。この江戸川区でインドの人々になじみのあるスパイス野菜「メティ」を通じた活動が広がっています。
江戸川区とインド人コミュニティ
江戸川区にインド人が集住するきっかけは「2000年問題」でした。インドから来日したIT 技術者たちは、勤務先へのアクセスが良好で、入居がしやすい公団住宅もある西葛西駅周辺などに住むようになります。インド人の増加にあわせて、区内にはインド食材を取り扱う店舗や飲食店も続々と開店しました。また、インド人の子どもたちが通うインターナショナルスクール、ボランティア団体などインド人コミュニティを受け入れる環境も整っていきました。 毎年秋になると、「ディワリフェスタ西葛西」というイベントが行われ、インドの文化や食などに親しむことができるなど、地域住民とのコミュニケーションも図られています。

江戸川区は小松菜の発祥地
江戸川区は小松菜発祥の地でもあります。小松菜の名前の由来は江戸時代、8代将軍・徳川吉宗公が鷹狩りで小松川村(現在の江戸川区)を訪れたころまでさかのぼります。地元で採れた菜っ葉を入れたすまし汁を献上された吉宗公はその味を気に入り、土地の名にちなんで「小松菜」と名付けたとか。いまでも江戸川区は都内有数の小松菜の産地であり、収穫量は都内で1位、区を代表する農産物として広く親しまれています。小松菜は区内の学校給食にもよく登場するほか、小松菜をつかったお蕎麦やお菓子、焼酎なども製造されています。
スパイス野菜「メティ」とは
「メティ」は、マメ科の一年草で、インドでは古くから親しまれてきたスパイス野菜です。乾燥品の「カスリメティ」やスパイスとしての種子「フェヌグリーク」は、特有のほろ苦さと強い風味を添加することができ、スパイスカレー愛好家の間でもよく知られています。その一方で、生の「メティ」は日本ではあまり一般的ではありませんでした。シャキシャキとした食感と甘い香り、ほんのりと苦みのある味わいが特徴で、インドでは炒め物をはじめとした多彩な料理に用いられています。
まさに、「メティ」はインドの人々にとっては、「コンフォート・フード(筆者はおふくろの味のようなニュアンスでつかっています)」のひとつといえる存在なのです。

えどがわメティ普及会の取り組み
江戸川区で「メティ」の普及に向けて取り組んでいる団体が「えどがわメティ普及会」です。普及会は、江戸川区が生涯学習を目的に開学した江戸川総合人生大学で学んでいたメンバーにより立ち上げられました。
当時の講義を担当していたインド人の先生からインドではポピュラーな野菜である「メティ」の存在と、生の「メティ」が日本では手に入りにくい現状を知り、江戸川区に暮らす多数のインド人も同じ要望があるのでは、と考えたことがきっかけだったそうです。
江戸川区内の小松菜農家に、「メティ」の栽培を依頼したものの、当初はなかなか協力を得ることができませんでした。しかし、江戸川区、JA東京スマイル、江戸川総合人生大学の関係者など地元の方々の協力を仰ぎながら農家探しを行い、2019年には最初の栽培が始まります。また、小松菜との連作障害の影響がないとの話もあがり、これも一つの後押しになりました。

普及会では、「えどがわメティ」を商標登録したほか、区内の農家と連携して栽培に取り組み、販路の拡大、レシピの普及、イベントでの試食提供、学校や地域団体との交流など、幅広い活動を展開しています。
区内の飲食店では少しずつ「えどがわメティ」を使ったメニューが提供されるようになったほか、「えどがわメティ」のアンテナショップもオープンしました(レストラン「ヴィオレッタ」の一部時間帯で営業)。

筆者の調査と研究
筆者は、「えどがわメティ」の可能性を学術的に検討するため、これまでに調査・研究を行ってきました。江戸川区内のインド料理等提供飲食店を対象にした調査では、多くの店が生の「メティ」を入手できないため、「カスリメティ」や「フェヌグリーク」の輸入品で代用している現状が明らかになりました。一方で地産の「メティ」が入手できるなら使いたいと考えるインド料理等提供店舗は多く、生のメティには確かな需要があることも確認されました。
また、えどがわメティ普及会の活動は、単に新たな野菜を広める取り組みにとどまらず、在日インド人コミュニティの「コンフォート・フード」を地域社会に根づかせ、多文化共生に資する新しい試みであることも明らかになりました。研究の詳細は以下の論文で公開していますので、ぜひご覧ください。
青木洋高(2025)「コンフォート・フード」食材を活用した多文化共生についての一考察
:「えどがわメティ」を事例として」、日本マーケティング学会
さらに筆者は、「メティ」の栄養分析、味覚分析、官能評価などを行い、「メティ」が多文化共生におけるインド人の食材としてのみならず、日本人にとっても栄養学的・味覚特性の両面から有用である可能性について研究を行っています。今後は、普及会と連携しながら、「えどがわメティ」の地域ブランド化に向けた具体的な提言や実践を行っていく予定です。
共創のポイント
「えどがわメティ」の取り組みは、都市農業と多文化共生の新たな試みとして評価され、2024 年には地域の再生に貢献した団体や個人を総務大臣が表彰する制度である「ふるさとづくり大賞」の令和5年度団体表彰を受賞するに至っています。また、さまざまなメディアでの紹介を通じてその認知も広がりつつあります。
江戸川区は、羽田空港や東京駅へのアクセスも良いほか、東京ディズニーリゾートにも近接し、多くの人が訪れる立地でもあります。来訪者に対して、「えどがわメティ」を使った料理や、食体験を提供することは、江戸川区の新たな観光資源となる可能性を秘めています。
その一方で、栽培量がまだ限られており、需要と供給のバランスをいかに整えていくかという課題も浮き彫りになっています。
これまでの活動を支えてきたのは、普及会のボランティアメンバーの「思い」と「熱量」です。メンバーが自らの時間と力を注ぎ、「江戸川区にメティを根づかせたい」「メティを通じて多文化共生の輪を広げたい」という気持ちこそが原動力となってきました。
「えどがわメティ」は始まったばかりの挑戦です。しかし、「思い」と「熱量」に支えられて歩むこのプロセスこそが、共創の核心といえるでしょう。
「えどがわメティ」が小松菜とならぶ江戸川区の新しい顔として、これからさらに注目を集めていくことが期待されますし、ささやかながら応援をしていきたいと思います。

寄稿者 青木洋高(あおき・ようこう)文教大学 国際学部国際観光学科専任講師 / 博士(観光学)