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筑豊で「黒いダイヤモンド」を探せ! 第3章 遠賀川に刻まれた炭都~筑豊・直方市~

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筑豊平野のほぼ中心に位置する直方市は、彦山川や犬鳴川が合流し母なる川・遠賀川流域の城下町である。2001年10月に筑豊本線の一部が博多と結ばれ、福北ゆたか線として電化された。その結果、北九州市と福岡市双方のベットタウンとして変化していく。現在、遠賀川とJRにはさまれた地域が中心市街地だ。

炭都の歴史は

その歴史は、明治時代から昭和30年代までの石炭産業の繁栄である。筑豊地方の石炭集積地と問屋的な機能の役割を果たした。そのため、市内には商工省九州炭鉱保安技術研究所が置かれ、筑豊鉱山高等学校も設立される。これらの施設は、1949年の昭和天皇の戦後巡幸の際に視察先の一つにもなった。

しかし、石炭産業の衰退がダメージを与える。直方市内には大規模な炭鉱が少なく、人口の割に炭鉱労働者が多くなかった。それ故、筑豊の他市町村に比べると影響は小さかった。また、北九州市に近い地の利を生かし、新たな住宅団地が造成。他の自治体の人口は大きく減少した反面、比較的人口を維持した。そして、閉山後、市内に工業団地も造成され製造業の進出が進んだ。

シュガーロードの原点が

さて、直方は、江戸時代初期(1623~1720年)の約100年間、福岡藩(黒田藩)の支藩(東蓮寺藩)が置かれた。しかし、6代続いた藩政は、最後の藩主・黒田長清が没すると廃藩となる。

当時、「長崎街道」は町中を通らず遠賀川の対岸だった。そのため、町の衰退を心配した大庄屋・庄野与右衛門が街道の往還替えを本藩に願い出て、城下町を通るルートに変更された。

長崎街道とは、江戸時代に整備された小倉から長崎まで約223.8kmを結ぶ街道だ。参勤交代だけでなく、鎖国下にオランダなどとの交易においても重要なルートだった。特に海外から輸入された砂糖が沿線に菓子屋を誕生させ、「シュガーロード」とも呼ばれるようになった。

街道沿い25宿の内、福岡藩領を通過する黒崎から原田までの宿場は「筑前六宿」と呼ばれ、人々の往来でにぎわいを見せた。

長大なアーケード商店街

この街道沿いに古くからの商店街が形成されていく。特に古町商店街から殿町商店街まで約600mの長さを誇り、周辺のアーケード商店街を合わせると1kmを超える長さだ。人口約5万人規模の町としては、異例の長さである。また、JRの駅舎と筑豊電鉄の直方駅までの間には、須崎町商店街もアーケード商店街として形成された。

須崎町商店街の入り口
須崎町商店街の入り口

しかし、田川同様に町の商業の中心が郊外化することによって、今や多くの店舗が歯抜けとなって、シャッター商店街となっている。庚申社の五日市(毎月5日)にはイベントが開催され、商店街も彩りを取り戻す。残念ながら、昨今は集客力も減少し起爆剤となっていない。

一方、アーケード内には、「成金饅頭」と名付けられた大判の饅頭を販売する店舗が多く、その味を競い合っている。筑豊地方には、全国区となった菓子屋も数多い。地域に根付いた直方の町の菓子屋は、地域スイーツの展開に可能性を見出すことができそうだ。隣接する福智町の「ふくちスイート大茶会」は、会期中に3万人もの訪問者が集まる好事例でもある。

町を歩き、今も残る炭坑遺産に触れる

アーケード街を後に長崎街道沿いを町中に歩みを進める。まだまだ往時を彷彿させる建物が残っているのに驚きを感じる。大正・昭和の名残の町のお医者さんや飲み屋さんの集合ビルなど、建物はその時代を映し出す鏡でもある。また、炭住跡であろうか、長屋風の建物を活用し、新たな商売が展開されている事例も見えた。

町中の不思議な建物
町中の不思議な建物
炭住の跡だろうか
炭住の跡だろうか

また、田川と同様に、筑豊本線沿いに石炭記念館も造られている。ここでは、ボランティアガイドの方々が、最盛期の直方がどのような姿であったか、丁寧に説明を加えてくれる。学びは、後世につながる大切なモノ・コトである。

施設の中には、明治末期1910年に炭鉱経営者で組織された筑豊石炭鉱業組合直方会議所として建てられた本館をはじめ、炭鉱災害の際に救護を進める訓練坑道も存在する。(延長:117m、傾斜:20度)

石炭記念館のある訓練坑道
石炭記念館のある訓練坑道

学び・遊びの場所が明るい未来を

そして、近くには、筑豊五大炭鉱主の一人である堀三太郎の自宅が建てられている。現在「歳時館」と称し、地元の方々のイベント会場としても活用されている。純和風の建物は、炉が切られ、お茶会や餅つきなども行われている。まさしく、町の生涯教育施設としての位置づけでもあり、未来につながる子供たちの集まる場所となっている。

続いて、広大な遠賀川河川敷に赴いてみる。週末ともなると家族連れが遊びに出向く広場だ。凧あげやボール遊びに興じる子供たちの姿は、かつての繁栄とは違った次世代につながるものになりそうだ。

彩りを取り戻すには、もう少しの時間がかかることだろう。しかし、鉄道をはじめとする交通網の再構築よって、明るい未来を作り出してほしい、と感じる時間であった。

(つづく)

遠賀川の河川敷には、家族連れの姿も
遠賀川の河川敷には、家族連れの姿も

(これまでの特集記事は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=8

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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