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飛騨高山・広瀬城跡で発掘調査説明会 戦国時代の遺構公開

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岐阜県高山市は4月25日、国史跡指定を目指して発掘調査を進めている戦国時代の山城「広瀬城跡」の現地説明会を開催した。当日は約100人が参加し、発掘調査担当者の解説を受けながら、飛騨の戦国時代を今に伝える貴重な城郭遺構を見学した。

広瀬城跡は、高山市国府町名張と瓜巣にまたがる山上に築かれた山城。広瀬氏の居城で、城代・田中与左衛門の名から「田中城」とも呼ばれている。

 広瀬氏は後に飛騨国の戦国大名・三木氏の配下となったが、『千光寺記』や『飛騨群鑑』によると、甲斐の武田氏と通じたとして滅ぼされたとされる。その後、広瀬城は三木氏の城となり、三木自綱の居城となったが、1585年、羽柴秀吉の命を受けた金森長近の侵攻により落城したと伝えられている。

同城跡では令和6年度から発掘調査を実施。特に、斜面を幾重にも遮断する「畝状竪堀群」が良好な状態で残されており、飛騨地域における戦国時代の激しい戦乱を物語る遺構として注目されている。

今回の調査では、本丸で礎石2基を確認。周辺からは16世紀ごろの中国製とみられる青磁の碗や香炉の破片が出土した。高価な輸入品を使用できる人物が城内にいたことを示しているという。また、本丸東側斜面では石積みの構造を確認。大きな丸石を斜面に差し込むように配置していることや、崩落した石が斜面下部に堆積している様子が判明した。

二ノ丸では、曲輪造成時の土層を確認。造成土から古墳時代の須恵器や土師器が出土し、城が築かれる以前、この地に古墳が存在していた可能性も浮上している。さらに、二ノ丸北側の堀切では、現在よりさらに深く掘削されていた痕跡を確認。堀底には尾根から崩落したとみられる石が堆積していた。

高山市では、今後も調査を進めることで、飛騨地域の戦国史や城郭構造の解明につなげたい考えだ。

広瀬城跡について

広瀬城跡は岐阜県高山市国府町に位置する戦国時代の山城。飛騨国の国人領主・広瀬氏の拠点として築かれたとされ、現在は戦国期の防御施設が良好な状態で残る貴重な城跡として、国史跡指定に向けた調査が進められている。

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