近世日本の教育遺産群─学ぶ心・礼節の本源─
天領水で有名な日田の私塾「咸宜園」と近世日本の教育遺産
私は5月13日から3日間、「九州の歴史ある焼き物めぐり」のツアーに同行し、2日目の午前中には大分県日田市の北部に位置する「小鹿田焼(おんたやき)の里」を訪ねましたが、午後は頼山陽も身を寄せた、日田市にある日本最大規模を誇った私塾「咸宜園」にも立ち寄りました。

日田と言えばかつて「山あいに都あり」と言われた山紫水明の里で、豆田町には天領時代の文化が息づき、九州の小京都と呼ばれていますが、近世日本の教育遺産である「咸宜園」でも知られており、この「咸宜園」は
・日本最古の学校「足利学校」(栃木県足利市)
・世界最古の庶民のための公立学校「閑谷学校」(岡山県備前市)
・日本最大規模の藩校「弘道館」(茨城県水戸市)
と共に「近世日本の教育遺産群~学ぶ心・礼節の本源~」として日本遺産に初年度登録された教育遺産群の一つです。

これら4つの学校の違いを一言で言えば、足利学校は古典教養の学校、閑谷学校は庶民教育の学校、弘道館は国家人材養成の学校、そして咸宜園は自由・実力主義の学校となります。
一方、これら4校の共通点は、「教育によって社会を良くする」という考えでした。近世日本では、単に知識を覚えるだけでなく、人としてどう生きるか、社会にどう役立つか、礼儀や道徳をどう身につけるかが重視され、これらの教育遺産群は、単なる古い学校ではなく、「日本人が理想の人間像を追い求めた場所」でした。

「咸宜園」と廣瀬淡窓の思想
「咸宜園」は、儒学者であり詩人でもあった廣瀬淡窓が、「人材を教育するのは、善の大なるものなり」といった考えから開設した私塾で、「三奪(さんだつ)の法」という封建制度の当時ではユニークな方針から、入門者は身分・学歴・年齢を無視して平等に最下級からスタートさせました。
さらに実力主義を採用し、厳格な試験(月旦評)によって進級を定めるという特色ある教育が全国的な評判となり、各地の私塾に影響を与えるとともに、全国60か国以上から5,000人を超える門下生を集め、日本最大規模の私塾となりました。全国から集まった門弟の中には大村益次郎・高野長英・上野彦馬など、明治維新の担い手や、ひいては日本の近代化に活躍した人々が多く含まれています。

塾名の「咸宜園」とは「咸(ことごと)く宜(よろ)し」、すなわち「すべてのことがよろしい」という意味で、どんな階級出身者でも入塾を可能とする、誰でも公平に学べる学校でした。
また、この言葉には「学問に偏りがあってはいけない、広く様々な学問を学ぶべし」という意味が込められており、「人にはそれぞれ個性があり、能力も異なるので、その能力にあった使い方をすれば役に立たない者はいない」という廣瀬淡窓の考えが反映されています。すなわち「鋭きも 鈍きもともに 捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに 使い分けなば」という廣瀬淡窓の和歌がその思想を象徴しています。
また、淡窓は幼少の頃、体が弱く、妹に負担をかけたことを悔いており、生涯を通じて「善行」にこだわって、純粋な善行が1万回になることを目指して『万善簿』なる記録もつけていました。これは、良いことをしたら白丸を1つつけ、食べすぎなどの悪いことをしたら1つ黒丸をつけていき、白丸から黒丸の数を引いたものを1万にするもので、67歳(1848年)に達成しています。
頼山陽も感銘を受けた咸宜園門下生「中島子玉」
しかし、私がもっとも感銘を受けたのは多くの優秀な門下生を育てたことです。幕末に活躍した維新十傑の一人で陸軍の創始者とも言われる大村益次郎や日本の夜明けをリードした蘭学者の高野長英は有名ですが、中島子玉という門下生も知っていただきたいと思います。
頼山陽が咸宜園に淡窓を訪ねた際、淡窓に命じられて実際に応対した人物が中島子玉です。頼山陽は九州旅行で「すばらしいものに2つ出会った」と言っており、1つは「耶馬渓」の景観ですが、もう1つはこの「中島子玉」という人物でした。
頼山陽は淡窓の知遇を得るために咸宜園を尋ねたのですが、実際に接遇したのは若い門下生の中島子玉だったため、頼山陽は当初、彼を軽んじて相手にしませんでした。しかし、子玉が添削を依頼して差し出した漢詩をみた山陽は愕然とし、「子(子玉)の学才、此の如く秀逸なるを知らざりしは予の不明である」と謝罪しています。
私は頼山陽が山国川沿いの山水画の風景を漢詩文で「耶馬渓」と命名、天下に知らしめてくれましたが、その頼山陽に感銘を与えた咸宜園の門下生第一の英才、中島子玉の名前も記憶すべきだと思います。
残念ながら子玉は34歳という若さで世を去ったため、師の淡窓は運命を呪う言葉を日記に記しています。そこで咸宜園では、「学ぶ期間は人それぞれで異なる」といった、人生における限られた時間を大切に使えるような配慮がなされていましたが、誠に人生において生きている時間はお金以上に貴重です。
私の父も「お金持ちになるより時間持ちになれ」と言っていましたが、私もこの年になってお金を管理することも重要ですが、時間を自由に使えることこそが幸福の源であると理解するようになりました。
※サムネイルは、廣瀬淡窓旧宅前に立つ平成芭蕉
寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事