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地域創生撮影活動 第六章 『写真の力』日本の食文化伝導 その一

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私と写真

若い頃、写真を撮ってみたいとずっと思いつつもサラリーマンという立場もありなかなか思うようにはならずにいた。家族の思い出としてスナップすることがやっとだった。

だが、今はなき父親が遺してくれたスナップの中に、未だに私の心に刺さって抜けない一枚がある。おそらく私が4歳から5歳くらいの頃、肱川河畔を私の手を引いて歩いている後ろ姿を撮ったものだ。どなたに撮影していただいたのか、今となっては分からない。ただ、不思議なことにその時の状況を薄らと覚えているのだ。

戦地へ赴き大陸の山の中を通信隊を率いて生死を彷徨いながらも生きて復員してきたが子宝に恵まれなかった父親。戦後、地元の役所に勤めていたことから里子制度を活用して行き場を失っていた一歳半の私と偶然出会い、即引き取って育ててくれた。実の親子以上に厳しくも優しく接してくれたが、ことあるごとに写真を撮ってくれ一冊にまとめた「私の記録写真」が、今、私の手元に残っている。それは私の人生そのものであり宝物だ。この歳になって感じるが、私にシャッターを切らせているエネルギーは、ひょっとしたらこれかもしれないと思うのだ。

ロジャースタジアムからの眺め
ロジャースタジアムからの眺め

ファインダー越しの景色

私が撮りたい写真とは。単なる風景でもない。かといって人でもない。もちろん動物や植物でもない。むしろこれらの風景の中にあって育まれている命といとなみの時間をフォーカスして、多くの方々に感じていただきたい景色と日常を撮影することであろう。

今、交流させていただいている多くの写真家仲間のみなさんは、それなりに写真専門の学校や仕事に就き、キャリアを積み重ねてこられてきた方々ばかりだが、私の場合はそれは全くない。むしろ1998年9月に始まった愛媛県大洲市の街づくりに、この私が混じってしまったことからその後の運命が決まってしまったようなものだ。与えられたミッションは「大洲に大洲市外から多くの人々を集めて経済効果を創出すること」だった。

やっかいな話しだった。身を引いて自分の事務所の仕事をしていた方が良いくらいだとも思ったが、「この町の写真」を生かせばひょっとしたらひょっとするかもという夢物語が脳裏を横切ったことで今がある。

私の写真に触れていただく多くの皆様方には、私と同じようにそこに身を置いてみたいと感じていただけるか。そんな写真を撮ってみたいと常に考えながら今日を迎えている。「地域創生撮影」の原点はここにある。

大型電気自動車(トロント市内の路線バス)
大型電気自動車(トロント市内の路線バス)

40年ぶりの再会がトロントへ

高校を卒業し曲がりなりにも大学へ進んだ頃、当時流行っていたバンドの音楽仲間にドラムを叩いていた同い年の風呂屋の息子がいたが、彼とはほどなくして交流が途切れた。以来音信不通で40年近く過ぎたある日、大洲市の観光交流基盤整備事業の一環として、私が撮影した写真を素材として、県内外から海外などで活躍する大洲出身の皆様方向けに、SNSを活用して情報発信しネットワークを構築を進めていた頃のことだ。似たような名前を見つけた。

2012年5月のことだった。彼の名前は「橋本昌樹」である。大洲市出身でトロント在住となっていた。40年ぶりのまさかの再会だったのだ。以来改めて交流が復活し、年に数回墓参りなどで帰省する度に彼が進化していることを感じていた。

懐石遊膳橋本

その彼が、現在トロントにおいて「懐石遊膳橋本」という懐石料理専門の食事処を営んでいる。今やミシュランの★も獲得し、エアカナダの機内食の監修まで手がけているというスーパー料理人だ。

以前から彼との話の中で「いつか撮影してもらいたい」と言っていたことが今回実現したのだ。お互い六回目の年男を迎える72歳。そろそろ自ら歩んできた人生と今を画にして遺しておきたいという気持ちが強くなり、そのカメラマンにへなちょこ写真家の私を選んでいただいた。それも海を渡ってトロントへ来いと言うではないか。自慢はできないが私の英語力「ゼロ」である。ホントにひとりで行き帰りができるのか?正にひとり旅の珍道中である。

その模様は、また次月に描かせていただくこととする。

(つづく)

懐石遊膳橋本
懐石遊膳橋本

冒頭の写真は、「オンタリオ湖上からトロントの眺め」です。

(これまでの寄稿は、こちらから) https://tms-media.jp/contributor/detail/?id=14

寄稿者 河野達郎(こうの・たつろう) 街づくり写真家 日本風景写真家協会会員

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