「伊丹諸白」と「灘の生一本」下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷
2020年6月19日、文化庁が認定する日本遺産に、伊丹・尼崎・西宮・芦屋・神戸の5市が申請した「『伊丹諸白(もろはく)』と『灘の生一本(きいっぽん)』下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」が選ばれました。これは単なる「日本酒の産地」の物語ではなく、米を育てる人、水を守る人、酒を仕込む杜氏など、酒造家が育てた文化の物語です。
「伊丹諸白」から始まった下り酒
江戸時代、上方から江戸へ運ばれる品々は「下り物」と呼ばれ、その中でも酒は「下り酒」として大変珍重されました。特に伊丹の酒は、麹と掛米両方に精白米を惜しみなく使ったことから「伊丹諸白」と呼ばれて、江戸で人気を博しました。
伊丹では、麹米にも掛米にも精白した米を使う「諸白」の製法によって、従来の濁り酒とは異なる澄んだ酒が造られましたが、これが「伊丹諸白」です。伊丹市鴻池にある「鴻池稲荷祠碑」には、慶長5(1600)年、山中新六幸元(ゆきもと)がこの地で初めて双白澄酒(もろはくすみざけ)を造り、大いに売ったという趣旨の文が刻まれています。

それまでの濁り酒(どぶろく)から清酒を大量に醸造する技術を開発したということであり、伊丹市はこれをもって「清酒発祥の地」を標榜しています。

伊丹郷町に残る旧岡田家住宅・酒蔵を訪ねると、酒造りが単なる産業ではなく、町そのものを形成してきたことが実感できます。米を磨く技術、麹を育てる技術、発酵を見極める経験、そしてそれを商いに結びつける知恵など、伊丹の酒は、人間の技術と努力によって磨かれた文化財だと感じました。

六甲山が育てた「灘の生一本」
そして伊丹で発展した酒造りは、その技術を導入し、六甲山系の伏流水「宮水」で造られた「灘の生一本」を生み、清酒のスタンダードを築きました。「宮水」と言えば、私は30代の頃、西宮市青年会議所に所属し、毎年、「にしのみや宮水まつり」に参加していました。
この宮水まつりは毎年10 月の第1土曜日、その年に良いお酒ができることを祈願するため、宮水発祥の井戸から宮水を汲み、酒造関係者が雅楽を奏しながら、西宮神社まで練り歩き、西宮神社に水を奉納するお祭りです。

「宮水」は天保11(1840)年頃、山邑太左衛門(やまむらたざえもん)によって発見されたと言われており、幕末以後、昭和時代初期まで「播州米に宮水、丹波杜氏に六甲おろし、男酒の灘の生一本」の名声をほしいままにするのに欠かせない原料とされていました。
一般的に清酒は、夏を越すと「火落ち」と呼ばれる現象が生じ、味が悪くなりますが、灘地方で生産されたものは「秋晴れ」という現象が生じて、味が一段と芳醇になると言われていました。そこに着目した山邑太左衛門が、西宮の酒だけが秋晴れする理由は水の違いにあると考えたのが宮水発見の発端で、発見当初は「西宮の水」と呼ばれていました。
さらに六甲山系では、海へ向かって流れる急流を利用した水車による精米も発達し、酒造技術の向上を支えましたが、ここで忘れてはならないのが丹波杜氏です。酒造りの技術を身につけた丹波の職人たちが、冬季に酒蔵へ入り、厳しい寒さのなかで酒を仕込む。そこには、経験と勘、そして仲間との連携によって品質を守る職人文化がありました。こうして伊丹から受け継いだ技術に、六甲山の水、米、精米技術、丹波杜氏の技が加わり、「灘の生一本」と呼ばれる酒が生まれていったのです。
酒を江戸へ運んだ「樽廻船」
また、この日本遺産を理解する上で、もう一つ欠かせないのが海運で、どれほど良い酒を造っても、江戸へ届けなければ大きな商売にはなりません。そこで活躍したのが酒輸送専用の「樽廻船」です。伊丹や灘五郷で造られた酒は樽に詰められ、江戸時代末には年間約100万樽もの酒が樽廻船で江戸へ運ばれました。
良い酒を造る技術、品質を守る技術、そして遠くへ運ぶ技術、これら三つが一体となったからこそ、伊丹・西宮・灘は全国有数の銘醸地となったのです。私はその樽廻船が出帆した今津港埠頭に建つ今津燈台に行ってみましたが、これは今津郷・「大関」醸造元、長部(おさべ)家五代目の長兵衛によって文化7(1810)年に建てられた灯明台が起源です。

「下り酒」を積み出した港に残る現役最古の木造航路標識、今津燈台は当時の酒造りと海運を結びつける貴重な証人であり、また、酒樽を潮風や波から守るために発達した菰樽(樽が破損するのを防ぐクッション材)の技術も、この地域の酒文化を象徴しています。
酒造りが育てた「阪神間の豊かな文化」
しかし、この日本遺産の魅力は、酒造りだけで終わりません。財を成した酒造家たちは、酒造りによって得た富を地域の教育、芸術、文化、建築などに投じました。西宮の白鹿辰馬本家酒造の本蔵や釜場遺構(白鹿記念酒造博物館)、神戸・御影の白鶴美術館、魚崎の酒造家・山邑家の別邸として建てられた旧山邑家住宅などはその文化的な広がりを物語っています。酒造業が繁栄し、人が集まり、町が栄え、そして酒造家が地域に文化を還元する、つまり、「酒が文化をつくった」と言えるでしょう。

伊丹では、旧岡田家住宅・酒蔵や伊丹郷町を歩き、清酒の原点を感じる、西宮では宮水と酒蔵を訪ね、六甲山からもたらされた水の恵みに思いを馳せる。そして今津や神戸では、かつて酒樽を積んだ港と海を見る。すると、「伊丹諸白」から「灘の生一本」へ、さらに「下り酒」から江戸文化へという一本の物語が見えてきます。私は、その循環が、今日の阪神間の豊かな文化的土壌を生み出したのだと思います。

※サムネイルは、今津港築港・「樽廻船」記念碑と共に立つ平成芭蕉
寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事