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平成芭蕉の「令和の旅指南」㊶ 相良七百年に学ぶ武士の心

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相良700年が生んだ保守と進取の文化―日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨

鎌倉幕府と相良氏の人吉進出

熊本県南部、九州山地に囲まれた人吉・球磨地域を訪ねると、武士の生き方について、あらためて考えさせられます。2015年に認定された日本遺産「相良700年が生んだ保守と進取の文化」は、熊本県南部の人吉市と球磨郡9町村を舞台に、相良氏が鎌倉時代から約700年にわたって地域を治める中で育まれた歴史と文化を紹介する物語です。

人吉城の「はね出し」石垣
人吉城の「はね出し」石垣

相良氏の起源は、平安時代末期までさかのぼり、相良氏の家伝によれば、藤原南家の流れをくむ一族が遠江国(現在の静岡県牧之原市周辺)相良荘に根を下ろし、「相良」を名乗るようになったとされています。

その後、源頼朝が鎌倉幕府を開くと、全国の武士を御家人として組織し、各地の土地を管理するために地頭を任命しますが、相良氏もこ鎌倉幕府による地方支配の拡大を背景に、新たな所領の統治を担う武士として九州へ進出したのです。

相良氏の人吉進出で重要な人物が、初代の人吉相良氏とされる相良長頼(さがら・ながより)です。当時の人吉・球磨には、すでに在地の豪族や旧来の支配者がおり、相良長頼は、平氏の代官とされる矢瀬氏を滅ぼして人吉城に入ったと言われています。

相良家初代長頼の墓
相良家初代長頼の墓

先人を否定せず、文化を受け継ぐ

各地の豪族との抗争を経て勢力を広げた相良氏は、やがて人吉を拠点に領国を治めるようになりました。しかし、相良家の存続は決して平坦な道ではなく、時勢を見極める判断力と、家臣たちの働きが欠かせませんでした。

特筆すべきは、相良氏が地域の支配者となった際、従来から存在する社寺や信仰、土地に根差した文化を一律に否定せず、保護しながら統治に取り込んだことです。武士道の精神に照らせば、ここには「守るべきものを見極める」という姿勢が見えます。

武士に求められた忠義や責任は、主君への奉公だけでなく、自らが担う役割を果たし、人々の暮らしを支えることにも通じ、領地を治めるとは、単に土地を所有することではなく、そこに生きる人々の歴史や信仰を理解し、未来へつなぐ営みでもあったのです。

国宝・青井阿蘇神社に見る保守と進取

人吉球磨の文化を象徴する建造物が、人吉市に鎮座する青井阿蘇神社で、地元では「青井さん」と親しまれており、相良氏の時代を通じて保護されてきました。

茅葺き屋根の荘厳な姿に加え、社殿には黒漆や赤漆、華麗な彫刻など、桃山文化の影響を受けた意匠が見られ、伝統的な神社建築を基礎としながら、当時の新しい美意識が取り入れられています。私はここに、人吉球磨の「保守と進取」が形となって表れていると思います。  

古いものを守ることは、変化を拒むことではなく、大切な本質を保ちながら、新しい技術や感性を受け入れることであり、それによって伝統はさらに豊かなものになるのです。青井阿蘇神社は、文化における「守」と「進」の調和を雄弁に物語っているように感じます。

神仏とともに生きる人々

人吉球磨には、青井阿蘇神社だけでなく、古い寺院や仏像、石塔群が数多く残されています。湯前町の城泉寺阿弥陀堂、多良木町の青蓮寺阿弥陀堂などは、中世以来の信仰と建築文化を伝える貴重な存在で、地域に点在する観音堂を巡る「相良三十三観音めぐり」も、土地の人々の信仰を今に伝えています。

多良木町の青蓮寺阿弥陀堂
多良木町の青蓮寺阿弥陀堂

さらに、神社の祭礼や球磨神楽、臼太鼓踊りなど、地域の人々が一体となって受け継いできた民俗芸能も見逃せませんが、これらは領主だけが築いた文化ではありません。社寺を守り、祭りを支え、芸能を伝えてきた民衆の力があってこそ、命脈を保ってきたのです。

武士と民衆が同じ土地で暮らし、信仰や祭りを通じて文化を共有する。その積み重ねが、相良氏の治世を支える地域社会の基盤になったのではないでしょうか。

相良33観音霊場巡り
相良33観音霊場巡り

外の文化を取り入れ、独自の文化へ

人吉球磨の魅力は、古い文化が残っていることだけではなく、外から伝わったものを柔軟に受け入れ、独自の文化へと育ててきた点にもあります。その一例が球磨焼酎で、米を原料とするこの焼酎は、人吉球磨の気候風土と酒造りの技術によって育まれ、地域を代表する特産品となりました。今日では「球磨焼酎」の名が地理的表示として保護され、土地と結びついたブランドとして国内外に知られています。

また、球磨川は、山々に囲まれた盆地の人々にとって、物資や人を運ぶ重要な交通路で、相良氏の居城であった人吉城は、球磨川と支流の胸川を天然の堀として利用した「川の城」として知られています。

球磨川と人吉城
球磨川と人吉城

閉ざされた地形は、必ずしも閉鎖的な文化を生むのではなく、外からの影響を受け入れながら、自らの土地に合うものを選び、磨き上げることができれば、そこに独自の文化が生まれるのです。

人吉球磨は司馬遼太郎が「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記していますが、その豊かさとは、山河の美しさや文化財の数だけではなく、古きを敬い、新しきを受け入れ、地域の人々が力を合わせて文化を守り育ててきた、その心の豊かさにあるのではないでしょうか。

相良七百年の足跡をたどる旅は、武士の歴史を学ぶ旅であると同時に、伝統と革新をどう調和させ、何を未来へ残すべきかを考える旅でもあります。

※サムネイルは、国宝青井阿蘇神社に立つ平成芭蕉

寄稿者 平成芭蕉こと黒田尚嗣(くろだ・なおつぐ)クラブツーリズム㈱テーマ旅行部顧問/(一社)日本遺産普及協会代表監事

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